今月5日、大谷翔平投手が来季の契約更改に臨み、年俸2億7000万円でサインすると共に来オフ以降のメジャー挑戦が球団から容認されました。大谷投手は、2012年のドラフト会議直前にメジャーリーグ(以下MLB)への入団を希望しましたが、日本ハムは敢えて1位で指名。球団の育成プランや、日本球界でプレーした上でのメジャー挑戦の合理性を主張、当初の予想を覆し、大谷投手は日本ハムでプレーすることになりました。


それ以降の活躍は説明不要。今シーズンはついにパ・リーグMVPに輝きました。多くのファンが期待し、球団も移籍の道筋をつけてきましたが、一足先に米国で話題となったMLBの新労使協定により、大谷投手のメジャー挑戦に歯止めが掛かる恐れが出て来ました。簡略化すると、「25歳未満の海外選手には獲得資金制限が掛かる」というもので、現在22歳の大谷投手は3年後でないと大型契約が結べない可能性が指摘されています。




MLB新労使協定の影響



日本では当初、大手メディアのいくつかが「ポスティング制度を利用して渡米する大谷には影響外」としていましたが、MLB機構が「新労使協定は大谷とて例外ではない。日本とキューバの選手を差別するわけにはいかない」との通達を出し、その後25歳未満の海外選手が契約した場合、具体的な条件が徐々に明らかになって来ました。新労使協定が正式に承認されたのは、日本時間今月15日ですが、これまでの情報を基に、MLBに入団する選手を「ドラフト(指名)選手」、「海外プロ選手(MLB機構が認める海外リーグで最低5年以上の経験)」、「海外選手(外国籍アマチュア選手と海外プロの規定を満たしていない選手)」に分け、入団時の条件や規定を比較してみましょう。




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ドラフト選手と海外選手は驚くほど置かれた立場が似ています。一方、海外プロ選手はほぼフリーな状態といって良く、ポスティング制度によりメジャーに挑戦する日本のプロ野球選手も、大多数はここに入っていました。ところが、大谷投手は現在22歳ということで海外プロ選手とは認められず、ドラフト選手同様にアマチュア扱いされるのではという懸念が生じているようです。


ドラフト選手と海外選手で一点だけ異なるのは、前者がドラフト指名による独占交渉権、後者は交渉先が自由に選べることです。ポスティング制度では、入札金が上限(2000万ドル、約23億円)に達しない場合は交渉先が限定される可能性もありますが、大谷投手に関してはそのような不安は無いと見て良いでしょう。


そのため、新労使協定に何らかの注釈が入らない限り、大谷投手といえども25歳未満でのメジャー挑戦ならマイナー契約からスタートという説が一般的です。これについては、日米両国のメディアから「23億円で落札しながら年俸が6000万程度なのはおかしい」、「大谷のキャリアを尊重していない」、「MLBは球団の利益を優先に考えている」といった批判が相次ぎました。確かに、的を射た批判もありましたが、以前のルールで来オフに海外プロ選手として扱われた場合、メジャーのスター選手たちから見れば法外ともいえる条件が提示されるに違いなかったでしょう。


「法外」という言葉を使ったのは、メジャーリーガーの大多数が安価な年俸からスタートして、実績を重ねるごとに自身の年俸を増やしていくからです。それは日本球界でも同じことですが、この問題が発覚する前の報道は「総額200~300億円」という値が報じられています。メジャーリーガーの年俸スケールを測るのに最適な複数年契約の総額では、ジャンカルロ・スタントン選手(マーリンズ)が唯一の3億ドル超え。2億ドルを超えた選手も11人しかいません。米国記者たちにとっては、大谷投手がこれに並ぶことに異論はないでしょうが、ネックとなってしまったのが大谷投手の年齢。要するに、メジャー関係者が想像を絶するような早さで大谷投手が成長、進化したことです。



【英文サイト】 HIGHEST PAID PLAYERS
http://www.baseballprospectus.com/compensation/cots/league-info/highest-paid-players/

年齢を重要視しているのは、MLB機構だけでなくメジャー選手会も同じで、これから入団する選手よりも、今いる選手の権利を大切にするのは当然です。大谷投手が渡米すれば、米球界でもセンセーショナルな出来事となるのは明らかですが、どこかの球団と契約して選手会の一員にならない限りは、後押しが受けられないでしょう。


「メジャーリーグの年俸スケール」とは、一体どんなものか?大谷投手と同じように高卒入団、新人の頃から毎年MVP級の活躍で若きスーパースターと呼ばれる、マイク・トラウト選手(エンジェルス)の成績、年俸と比較してみましょう。トラウト選手は、メジャー6年目にしてMVPを2度受賞、新人王に輝いた2012年から5年連続MVP投票2位以上と、成績の面で肩を並べる若手選手は存在しません。




マイク・トラウトの個人成績~Mike Trout~
http://www.espn.com/mlb/player/_/id/30836/mike-trout


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大谷投手、トラウト選手共にデビュー1年目はプロの舞台に戸惑い、目ぼしい成績は挙げられませんでした。しかし、どちらも2年目から頭角を現し、リーグを代表するプレーヤーに急成長。今シーズンを含めた3年分のWAR(Fangraphs及びDELTA試算)で、大谷投手は山田哲人選手(ヤクルト)に次ぐ2位、トラウト選手はメジャー全体の1位を記録しています。


しかし、メジャーリーガーの年俸は登録日数が3年経過しないと、選手の方から異議申し立てが出来ない仕組みになっています(年俸調停権)。そのため、トラウト選手の年俸は、同じ年数の大谷投手と開きはあまり無く、3年目と4年目は大谷投手の方が高い年俸を得ている状況でした。トラウト選手はメジャー5年目から6年契約を結び、2016年の年俸は1525万ドル(約17億4000万円)になりました。一方、大谷投手の6年目に当たる2018年シーズンにメジャー挑戦し海外プロ選手となるなら、それ以上の金額が提示される可能性がありました。


このように、NPBとMLBでは年俸の上昇カーブに大きな違いがあるため、大谷投手が23歳で海を渡り、メジャーでもトップクラスの契約を勝ち取るとなると、ドラフト入団した選手たちから不満が出て来ても不思議ではない状況となります。トラウト選手の契約は、同年代のメジャーリーガーでは、最も条件の良い部類です。MLBの労使協定が変更されなければ、大谷投手のように若くして台頭したプロ野球選手は、メジャーリーガーの誰よりも多くの年俸を日本で稼ぎ、そして米国でも同じように飛び抜けた契約を勝ち取れる恵まれた環境だったのです。


しかし、海外プロ選手としての契約が25歳以上に設定されたため、大谷投手の契約プランは一種のペンディング状態になっています。次に、大谷投手がメジャー挑戦した場合の契約パターンをシミュレートしてみましょう。



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メジャーでの年俸算出については、以前のルール及び海外プロ選手として挑戦したケースとして、田中将大選手が結んだ7年約177億4750万ドル(1億5500万ドル、1ドル=114.5円として換算)を参照しています。海外選手としてなら、トラウト選手の6年目まで、7年目以降は田中投手の年俸を参考にしました。


最も条件が良いのは、当然ですが以前のルールで来オフに挑戦した場合になります。3年待つと、その分契約は遅れます。一方、海外選手として(MLBの)ドラフト選手と同じような昇給カーブを描いた場合、32歳時点でもその他の契約と比べ、半分程度しか稼げなくなってしまいます。


契約のタイミングは非常に難しいところで、もし大谷投手が渡米前に大きな故障をしてしまえば評価が下がる可能性もあります。ドラフト選手の中にはより良い契約を目指すために、自身のピークが来るまで長期契約を結ばないパターンもあります。現状では、金額に拘るなら3年後、プレー優先なら金銭面のデメリットを背負いながら来オフ挑戦という形になるでしょうか。


なお、MLBではメジャーデビューする前から長期契約を結ぶケースもあり、例え現状のまま来オフに挑戦しても、全くの新人と同じように扱われるとは限りません。ポスティングにより交渉球団が競合した場合、許される範囲でこうした提案がなされるかもしれません。



<メジャーデビュー前、デビュー直後に長期契約を結んだ選手>



ジョナサン・シングルトン(アストロズ)/5年1000万ドル(デビュー前)

エバン・ロンゴリア(レイズ)/6年1750万ドル(1年目から)

ライアン・ブラウン(ブルワーズ)/8年4500万ドル(2年目から)




田澤ルールの扱い


ここから二つ目のテーマに入ります。


新労使協定により海外リーグでプレーする25歳未満の選手に対し、MLBが獲得資金制限を設けたことは、日本の野球ファンの多くが疑問視しているルールを変えてしまう可能性があります。2008年当時、新日本石油ENEOS(現JX-ENEOS)に在籍していた田澤純一投手は、この年のドラフト1位候補に挙げられながらメジャーリーグに挑戦することを決意。NPB12球団に対し、ドラフトでの指名を見送るよう要望しました。


これに対し、日本のドラフトを拒否して海外リーグに進んだ場合、帰国後2年間(高卒選手は3年間)はNPB球団に入団出来ないという規定を設けました。これが、いわゆる「田澤ルール」で、今オフMLBでFAとなった田澤投手は、仮に来シーズンから日本でのプレーを希望しても入団は不可能と見られています。それ以前に、NPBに入団した経験を持たない選手はドラフト指名の対象となるはずで、11月初旬にFAの身分となった田澤投手については、そちらを先にクリアしなければなりません。


「田澤ルール」に一体どのような設定がなされているかは明らかになっていませんが、田澤投手は来春に控える第4回WBCの日本代表メンバー(一次登録)に入っており、侍ジャパンの参加については、可能な範囲で前向きに考えるとコメントしていたようです。代表チームはNPBが母体となっているので、メンバーに入ったことは「田澤ルール」の見直しにつながる可能性があり、入団方法(ドラフト指名するかどうか)に検討の余地は残されているものの、NPBが田澤投手を受け入れる体勢は整いつつあると見ています。 MLBを目指した田澤投手は2008年にレッドソックスと3年330万ドルで契約を結びましたが、これが果たして金銭的に魅力的だったのかどうかについても検証してみましょう。


日米ともに2012年のドラフトで入団した選手は、今年で4年目のシーズンを終え(MLBは6月ドラフトのため4シーズン半が正確)、日本では5年目の契約更改を済ませた選手が数多くいます。MLBでも、来シーズンから年俸調停権利を持つケビン・ゴースマン投手(オリオールズ)、マーカス・ストローマン投手(ブルージェイズ)、マイケル・ワッカ投手(カージナルス)らは、現時点で最も稼いでいる5年目の選手に入ります。さらに、MLBの2012年ドラフト上位のカルロス・コレア選手(アストロズ)、バイロン・バクストン選手(ツインズ)、マイク・ズニーノ選手(マリナーズ)らは、入団時に400万ドル以上の契約金を手にし、来シーズンもメジャー最低年俸クラスでプレーしますが、同年のドラフト入団選手の中では高額な報酬を稼いだ部類です。


ここで、日米両国のリーグで2012年に入団した選手たちが、ここまでに得た年俸と契約金を比べてみましょう。加えて、田澤投手の入団5年目までの年俸+契約金も比較対象とします。


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※MLB選手の報酬は1ドル=114.5円にて計算。青は年俸、橙は契約金
※MLB選手の5年目年俸はプロジェクションを採用
※田澤の契約金、年俸の振分けは不明

今オフから年俸調停権を持つゴースマン投手が年俸、契約金ともに抜けていますが、意外と思われるのはNPB選手たちの健闘でしょう。契約金が最大1億円と上限が定められている(申し合わせ事項の範囲)NPBですが、プロ1年目から続けて活躍すれば4年目には年俸2億円に達する選手も珍しくありません。ここでも大谷投手、則本昂大投手(楽天)、菅野智之投手(巨人)らが顔を出し、メジャー契約で入団した田澤投手の報酬を超えています。


田澤投手の場合、メジャーに定着し始めたのは入団4年目で、年俸が上昇するのはその翌年からなので、今オフFA権を取得したといっても既に30歳。もし、NPBのドラフトに掛かり、1年目から活躍し続けていれば同じく今オフに海外FA権を手に入れられる年でもありました。ドラフト同期生の中には、NPBだけで田澤投手以上の年俸を稼いでいる選手もいて、金額面だけを考えるなら直接メジャーに行くことがベストな選択でもなかったことが徐々に明らかになっています。


もちろん、メジャーの舞台は誰でもプレー出来るわけではなく、MLBの福利厚生にも大きな魅力はあります。しかし、もしNPBで先発投手としてのキャリアを積み、評価を高めた上で球団から(ポスティングを)容認してもらうことが出来たのなら、さらに有利な契約を結べていたかもしれません。


MLBの新労使協定が締結された今、日本の有望アマチュア選手が直接メジャー行きを断念するのなら、それは「田澤ルール」があるからではなく、以前よりもアマチュア選手受け入れのハードルが高くなったからです。メジャーが高く評価するのは、アマチュア時代ではなくNPBでの実績で、その点では田澤投手が直接メジャーに行ったときから変わっていません。これまでの要点をまとめ、今後は「田澤ルール」が不要になって来ることを今一度確認しておきましょう。




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仕組み的には撤廃しても差し支えない環境になってきた「田澤ルール」ですが、一部マスコミで「大谷のためのルール」と指摘された、新労使協定を飛び越えるような条約作りは、日本球界にとって新たな火種となるかもしれません。




優遇ルールの落とし穴



大谷投手のメジャー挑戦を優遇するために、MLBとNPBが協力して25歳未満の選手でも海外プロとして扱えるよう、ポスティング条約などで新労使協定の頭を超すようなルールを作ってしまうと、さらに深刻な流出プロセスが出来上がってしまう恐れがあります。これは、「田澤ルール」とは直接連動しないものの、NPBの若手選手が早期に海外流出してしまう手助けをしてしまうようなもので、ポスティング制度により得られる落札金の大きさを考えるなら、今後「MLBに売り渡すことを優先に選手を起用する球団」が出て来ても不思議ではありません。


こうした問題は日本人選手だけではなく、例えばキューバの選手でもNPB経由なら25歳未満でも(MLBでの)大型契約が可能になり、それを利用したNPB球団の落札金ビジネスが成り立ってしまう恐れも出てきます。そうなると、MLBの草刈り場として特化した球団でも収益が確保されるようになり、ペナントレースに水を差してしまうかもしれません。このようなストーリーが決して有り得ない話でないことは、心に留めてください。


もちろん、国内選手の早期流出も前述の通り、深刻なテーマとなるでしょう。大谷投手の活躍に注目した米球界は、今よりも早い段階で日本人選手の才能を発掘するためのステップを踏むことになります。さらに、先の落札金ビジネスが絡んでくると、才能の芽が完全に出ない状態でも、日本球界を離れていく若手が増えるのは必然となるでしょう。この話を信じられないと感じる方がいるかもしれませんが、MLBの資金力は強靭かつ増大しているので、そのような事態を招きかねない状態なのです。


ルールは、全体を捉えた上で、秩序や機能を維持する最適なポジションを見つけ出すことが理想です。ただ、現実には妥協しなければならない点も多く、それによって不満を感じる場合もあるでしょう。しかし、ある特殊な事例にとって最適な方法となるルールは、全体像を無視しているといっても良く、選手の能力によって意図が変えられてしまう制度作りは、その時点からルールとは呼べない代物に成り下がります。「田澤ルール」も、「大谷投手のメジャー挑戦を優遇するため」のルールも根は一緒。一選手が全体を変えてしまうことには、落とし穴があります。これらについては、NPBの対応を待ちたいところです。


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