昨年ほど高校野球の健康管理について云々された年はないだろう。近年は弥生時代に迫るほどの温暖な気候となっているそうで、かつてなかった猛暑のニュースが全国で続いている。ただ高校野球における健康管理については、峻別されるべき問題が混同されて考えられているように感じる。「選手全員から観客に至るまでの熱中症問題」と「投手の投球過多」の2種類がそれである。

熱中症問題についての解決策


まず熱中症の問題を取り上げよう。確かに私の子供の頃と比べると夏の気候はずいぶんと変わってしまっている。子供の頃に見た野球アニメのセリフにこんな趣旨のものがあった。


「勝ち進むために体力と暑さ対策は重要である。真夏の甲子園は40度にもなると言われている」

甲子園のグラウンドは太陽を遮る場所もなく、風はスタンドで遮られ、反射熱などもあるため、体感温度は40℃などというありえない暑さに感じられることもある、という意味だろう。暑さについては特別な場所、というニュアンスである。

それが、今や体感温度などという注釈つきではなく、特別な条件のない普通の居住地で計測した気温(必ず日陰で測る)が、40℃を越える時代になってしまった。さらにその上で甲子園は「暑さに関しては特別な場所」なのであるから、熱中症に始まる健康対策に注目が集まるのは当然のことかもしれない。

冷房・給水・危険な時間帯のプレーは避けるなどの対策はすでに打たれている。またほかに、ナイターで実施すること、ドーム球場で実施すること、日程を秋にずらすこと、などの対策案が巷間出回っているがいずれにしてもトレードオフはある。


最も妥当な熱中症対策はドーム開催?


メディアで言われ、現在行われていない対策のうちのいくつかを取り上げると、まずナイターで実施することは日程消化の上で課題が大きい。1日に消化できる試合数が減ってしまう上に、試合が長引くと法律・条例の関係で打ち切らなければならない試合も続出しそうだ。彼らは高校生なのだ。そしていったん始まった野球のゲームがいつ終わるのかは誰にもわからない。

また大会日程を伸ばしたくはない。球場を併用する阪神球団が困るだけではなく、参加者は高校生で、おそらく半数くらいは3年生である。夏休み以外の時期にまで長期間登校できないという問題も発生するだろう。

甲子園出場選手の中でプロ志望者などはほんの一握りである。「甲子園出場校はプロ予備校みたいなものなので授業を受ける必要はない」は公的な場では回答にならない。高校野球は高校の活動の単なる一部であり、逆ではない。高校野球のために高校があるわけではないのだ。高校球児に適用されるさまざまな規則やその運用は一般的な高校の野球部員に適用できるもので、かつ野球部以外の生徒に不利益が及ばないものでなくてはならない。


次に夏休みを避けて実施する方法だが、1試合でも勝ち上がると大会参加期間がかなり長期にわたる学校が出る。2試合も勝てば現地入りして2週間以上になることもザラであろう。公立高校が出場した場合にそれで高校の運営は成り立つのだろうか。

また、本番の甲子園大会が暑さ対策のため夏休みを避ける以上、予選も夏休みを避けなければ理屈が通らない。地区の1回戦で最初に負ける野球部も甲子園の最後の試合で勝つ野球部も健康管理の点で権利は同じ、扱いの差があってはならない。9月に入ってから予選開始するとすれば、秋季大会と夏の甲子園の日程がぶつかってしまう地区も出てくるだろう。

さらに高校野球の運営は夏休みを利用するからこそ審判はじめ多数のボランティアの協力を得られるのである。参加チームでも運営でも、高校の教員は多く含まれる。彼らが秋に長期間地元を離れるとなると授業や担任学級、時期的にたけなわの進路指導あるいは校務運営にも影響が及ぶなど、今までになかった問題も出てくる。野球部の責任教諭がたまたま勝ち進んだ年に3学年の担任を持っていたりするとおそらく阿鼻叫喚の図となるだろう。野球部以外の3年生に不利益を被る者が出かねない。地区予選は現行の6月7月でさえ、当番校の教員が中心になってギリギリの運営である。高校総体が必ず夏休みに行われるのは理由のないことではない。

文科省による学習指導要領は、1単位時間が50分をもってなり、35単位時間の授業をもって1単位。最低74単位で原則高校卒業の権利となる。これは飾りではない。重ねて言うが高校側は野球部以外の生徒に対して、不在教諭があることを前提として、必要な体制を保証しなくてはならないことになる。生徒本人が出られるかという以上に、学校運営の都合もあるのだ。日程をずらすのであれば甲子園大会は年1回が限界であろう。


最後にドーム開催のアイデアだが、ここまで挙げた中ではこれが一番しっくりきそうである。日程上の問題も生じないし、何よりWBGT計で31℃(通常の温度計で35℃くらい)を越えるときには、特別な場合を除き運動は中止すべしとした日本体育協会(1994年)の指針に真っ向から違反しなくてすむことになる。

高校生の側からすれば高野連も日本体育協会(当時)も管理する側の団体だろう。見方によっては、現在の在り方は、管理する側が自分で作った基準を自分で破っているようにも見える。しかしこれも、運営側の経済的な問題(ドーム使用料)、参加する・応援する側の心情的な問題がからんできそうである。甲子園は元来高校野球のために作られたため使用料は無料であるし、また、憧れの選手が活躍したあの場所で自分もプレーしたいと思うのは人情である。

個人的には、冷房の効いたドーム球場の高校野球が、現在のような人気と威信を保てるのか疑問なしとはしないが、それでも現状ではこのドーム案が最も有力と考える。

しかし、である。以後の問題に比べれば、熱中症の問題はまだ解決のつく問題なのだ。これらは「現行のままにする」を含めて、いずれかの選択肢を選ばなくてはならないが、トレードオフは必ずある。「選手の健康は何より優先されるべき」と考えるのが大勢ならば、どんなにデメリットがあろうが前に述べた方法のいずれかを採用すべきだろうし、そのことに反対者があれば説得しなくてはならない。しかし結局は、デメリットに比べてメリットが大きいと思う方に舵を切ればいいだけのことである。どう転んでも得るもの失うものは必ずある。やり方をどうするのか、の問題なので、総意を持って選択することができれば、それが解決だろう。仮に毎年のようにやり方を協議しなくてはならなくなったとしてもそれはそれだ。


根拠が薄弱な球数制限


問題はもう一方の「高校野球の投手の投球過多と球数制限」である。解決方法ならばこちらの方がはるかに難しい。抜本的な対策は存在しないと言ってもいいだろう。さらにこちらの方は高校野球のみならず、世界の野球競技の存続にまで関わる問題につながっている。日程の問題とは異なり、何かを得ようとすれば何かを失うといったものではない。失うものをどうやって最小限に留めるか、といった筋の話である。

毎年のようにこの種の問題は提起されるが、2018年は金足農業の吉田輝星が主役であった。5試合で881球を投じ、またいつもの如く「論議を呼んだ」。さまざまな対策がWeb上やマスコミで流通した点もいつもと同じだ。決定的な解決には至らず、特段の変更もなく次年度を迎えるであろう点も例年と同様になると思われる。

過去には球数制限を設けるという話があったが、仮に100球の制限を設けるとして、100球の根拠は薄弱すぎるように思われる。球数で線を引くのはその根拠の問題で難しすぎる。確かに球数が少ない方が負傷の危険は小さいだろうが、何%の危険をもって線を引くのか、その時許容するのが何%であると決めた必然性は何なのか。成文化はしていないものの、球数制限を積極的に行っているMLBでもやはり負傷は続出している。

またプロ目線での改革発議はまずい。「投げすぎによりプロの投手となる人材の確保に不都合が生じ」といったような筋の話だが、記号で書くと「Aだとプロが困るのでアマチュアの皆さんはBにしてください。」となる。僭越の言葉どおり、これは極めて筋が悪い。ここは「日本野球の競技力向上(及び健康維持)のためにBの方法を採る」として高校野球の投手の在り方を定義しなくてはならない。そして目的が日本野球の競技力向上のためであるから、プロから大学から中学から(各段階で数などの運用に違いがでても)統一された方向性での運用が必要になる。

プロ目線での、人材確保のためという方向性であれば、プロとは関係ない90%以上の高校生がその話を聞く義理はない。県の向こう端の学校の顔も知らない誰かがもしかしたら不都合を被るかもしれない。この理由で、投手をできる人間がそう何人もいるはずのない普通の公立高校の生徒が「実質棄権負け」の脅威にさらされるのであるから、説得は容易ではない。弱小高であれ連合チームであれ甲子園常連であれ、スタート時点で権利は同じでなくてはならない。

また、成文化するのかしないのかの問題もある。良識に任せるでは現状と変わりはない。権利は同等なのであるから、弱小校ならすぐ負けるに決まっているから100球越えてもOKだが強豪校はダメというのは解決ではない。成文化するとなれば特に「日本野球全体のために」の理由付けは重要になってくる。

通常、高校に入って野球をやりたい人間は野球部に入ってくる。9人いればチームができて大会に参加することができる。9人そろえるのが不可能であれば連合チームを組むか大会不参加かどちらか、ということになる。野球部が必ず野球の大会に出なければならないという決まりはない。

特に公立高校で通常の入学試験を課すとき、特定のスポーツの特定のポジションの経験の有無を条件としてはならない。マウンドからストライクを投げられ、セットポジションでも投げられる人間を複数準備すべしという条件をあらかじめ課すのは、部活動の本来の成り立ちからして筋が違うように思う。

全国高校野球大会こそを普通の高校野球として、全国の野球部員をその事情に従わせるような考え方になっていないだろうか。ファンが娯楽として高校野球を見て、あるいはプロにつながる延長線上の野球として見るならば球数制限の件は当然のことだろう。しかし実際の運用として考えるとき、その視点は一面的なものでしかない。1回戦に参加した野球部のうち半数は2試合目がない。連投なんかは、やりようがない。野球部のない地元企業、官庁に就職する予定のものや、進学して野球をやる予定のない者など、卒業後は投手をやらない人間の方がはるかに多いことも忘れてはならないだろう。

さて、その上で卒業後も本格的に投手であり続ける極少数派の生徒のケアも怠ってはならないとなれば、どのような立場の投手も従える成文化された決まりを定めるしかあるまい。


公平性のある7イニング制への変更や1ボール1ストライクからの打席開始


この視点から、Web上やマスメディアで流れた案の中で面白かったのは9イニングではなく7イニングで1試合とする案である。実現したとして問題なく大会を運営できそうな唯一の案である。どんな野球部が従ったとして問題は出そうにない。ただし、運の要素が強い野球という競技において、9イニングを7イニングにすることによって、さらに運の偏りを招いてしまう。一生に一度の場面であるから少しでも運の要素は排除したいところではある。

現状、運の排除も含め、おおむねすべての要請を満たせるのは2ストライクで打者はアウト、3ボールで四球出塁とする案ではないかと私は考えている。現行の野球を1ストライク1ボールから始めるだけのことである。ほとんどのスポーツのルール改正と同じ方向性、つまりスピードアップのための変更であり、円滑な運用は十分可能と考える。何より弱小だろうが甲子園常連だろうがすべての野球部が従えるものであり、球数制限を課すのならせめてこの程度の準備はした上で併用したいところである。

また、意識に上がらないかもしれないが、ファウルはファウルと呼ばれるように反則である。野球渡来直後は反則打球と訳された形跡もある。反則であるから、現代では0または1ストライクのとき、ストライクにカウントされてしまう。2ストライクのとき、なぜストライクにカウントされないのかという根源的な問いがあってもいいのではないだろうか。検討した結果現行通りにするとしてもいい。「最大3スイング目までにフェアゾーンに飛ばしてください」も「2ストライクから1回目でイエローカード、2回目でアウト」もそれ自体ではルールとしておかしなものではない。

日本の高校野球がMLBのルール変更に影響を与える可能性も


かなりラディカルと思われるかもしれないが、枠組の変更を考えるならば、この程度の論でなければ対案として機能しないだろう。そうした上で現実的な落とし場所を探るべきである。他の競技と比較して、故障の危険や選手生命の危険が大きくなっているのであれば、特に投手の保護を優先したいと考えるならば、他の競技が行ったレベルのルール変更は受け入れる覚悟は必要である。

また、このことは、日本の高校野球の投手保護だけでなくそれ以上の意義があるように思う。

MLBにおいても投手に負傷者が続出し、昔は珍しかったトミー・ジョン手術が激増している。特に先発投手が払底したことによりサラリーは暴謄、長いイニングを投げることの負担に注目が集まっている。

根底には球速をはじめとする投手の能力の向上があるだろう。例えば球速の上昇を例にとれば、1割の球速上昇で2割以上増える反作用を肘で支えることになる。肘を大きく曲げて、その肘を支点にして何かを投げるのはスポーツの中では非常に珍しい動作である。似ているといわれるやり投げでもあんなに肘を使ったりしない。日本では野球の投げ方が常識になっているので、やり投げの指導では基本の段階で「野球投げを体から追い出す」という表現も使う人もいる。

関節は極めて精巧なジョイント部位である。鍛えようのない部位がこのジョイント部分に集中している。クッション役を果たす中にはコラーゲンが主成分の部位だってあるのだ。どういう鍛え方をしたのかに関係なく、球速が上がるごとに球速以上のペースで負傷の危険は高まって行く。やがては生まれつき備わった限度を超えた負荷がかかり、鍛えようのない部分から壊れる。生まれついての要素が大きいため、どうなれば故障になるのか、個体差があるのが厄介である。共通の基準がつくりにくいのだ。

当然のことながらこれらはあくまで国内ルール(もしかすると一部大会限定ルール)として扱うことになる。国際試合をこのルールで行えなどと主張することはできない。しかし、このような試合形式で大きなトーナメントを開催し、それが受け入れられている状況を発信することができれば、世界の野球へ影響を及ぼすこともできる。特に先発投手が払底しつつあるMLBとしてはリーグの要請に沿ったものにもなる。結果、今までMLB発のルールを取り入れてきた日本側が初めて変更の先駆けとなることも考えられる。



道作
1980年代後半より分析活動に取り組む日本でのセイバーメトリクス分析の草分け的存在。2005年にウェブサイト『日本プロ野球記録統計解析試案「Total Baseballのすすめ」』を立ち上げ、自身の分析結果を発表。セイバーメトリクスに関する様々な話題を提供している。
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
  • Pocketに追加

  • アーカイブ

執筆者から探す

月別に探す

もっと見る