このテキストは日本の野球に強い関心を持つ米国の野球分析家であるJim Albright(ジム・オルブライト)氏が、自身のサイト(
http://baseballguru.com/)で発表したものを、許可を得て翻訳したものである。オルブライト氏は15年以上前より、「もし王貞治選手がMLBでプレーしたら、どれだけホームランを打てたか」「MLBで殿堂入りするクオリティを持った選手だったか」などを検討してきた。なおクーパーズタウンとは、アメリカ野球殿堂博物館があることで知られるニューヨーク州の街の名前である。15年という長い時間の経過とともに取得可能なデータは大幅に増え、選手の評価指標も進化した。オルブライト氏も当初はWins Share(WS)を用いて分析してきたが、現在は
Wins Above Replacement(WAR) へと変更している。さらには日米間で選手が移籍した事例が積み重ねられたことも、より正確な評価をすることを可能にしつつある。そうした環境の変化を受けて、改めて王選手の評価を試みたのがこのリポートである。
評価の前に
まず、15年前と同様に王選手の評価には3つの材料を用いた。(1)NPBでの実際の成績(2)王選手自身や王選手を実際に見たり、対戦した人たちの証言(3)統計を用いた予測だ。殿堂入りができたかどうかの判断を裏付けるには、これら3つのカテゴリーについて入手可能な情報を集めて検討するのが合理的だろう。この3つのカテゴリーは説得力のある結論を導く上で重要である。
(3)の統計を用いた予測については、パート2で触れるNPBでの成績をMLBでの成績に換算する手法が役立つはずだ。異なるリーグの成績を比較する際の調整については、最先端を行くビル・ジェームズやクレイ・ダベンポートなどのアナリストによって分析されており、他リーグでプレーした選手のMLBでのパフォーマンスを予測する上でとても価値があると証明されている。また残り2つのカテゴリーも重要だ。(1)については、もしNPBでの成績が優秀でない場合、MLBでの成績予測がそれを上回る可能性は低くなるから、(2)については、予測値のみを参考にした評価に嫌悪感を持つ人も少なくないからである。
王選手の日本での成績をMLBの成績に変換することで、人々は馴染みのあるデータを目にすることができる。だがその変換には人々には馴染みのない計算が用いられている。人々は計算にそもそも馴染みがないため、計算方法の正確さつまり過程より、実際に導き出されたデータに対する関心のほうが大きい。だが、データが間違った手法で導き出されていることがわかると、人々はそのデータに対し疑いを持つ。王選手の殿堂入りに反対する人々にとって、MLBの成績に変換し導き出されたデータが悪ければそれに越したことはない。
たとえ、3つのカテゴリーのうちのひとつで証明されなかったとしても、反対側の人々に対し、我々は2つの回答を用意することができる。それが(1)と(2)である。3つのカテゴリーを使用するもうひとつの理由としては、それらのカテゴリーもまた重要なものとして扱うことで、3つが相反する見解を示すなら結論は不確実で説得力に欠けるものである、とチェックできることもある。現在は、統計データが十分に存在し、かなり正確に日本の選手の統計的な実力を調べることができる。しかし、統計データが示すものも大事ではあるが、王選手が殿堂入りにふさわしいかの結論を出す際には、関係者の証言のような主観的な記録も大切にすべきだろう。ここまで、殿堂入りについてのアプローチ方法に触れてきたが、実は3つのカテゴリーすべてが、王選手の殿堂入りを支持している。
Ⅰ. NPBでの実際の成績
レギュラーシーズン
MLBより実力で劣るリーグの選手が殿堂入りするには、該当選手がそのリーグで圧倒的な結果を残していなければいけないことははっきりとしている。さらには、その圧倒的な成績を長い期間残すことができた選手がふさわしい。これまでに殿堂入りした全ての選手がこの基準を満たしているわけではないが、我々の目的はその誤りの数を増やすことではない。
王選手の現役時代は、NPBというリーグで傑出した存在だった。1973、74年に、2年連続で三冠王に輝いた。さらにMVPを9回、ベストナインを18回獲得している。現役22シーズンで20回オールスターゲームに選出され、一塁手としてゴールデングラブ賞を創設年(72年)から引退まで9年連続で獲得した。首位打者を5回、最多得点を15回、最多安打を3回、本塁打王を15回、打点王を13回、最多四球を18回、最多二塁打を1回、そして長打率の部門で14回リーグトップとなっている。さらに打率で11回、本塁打で20回、そして打点で19回もトップ5入りを果たした。ここでは各部門で基準を設けそれを超えた回数を見てみよう。
なお、王選手の現役時代は140試合以下のシーズンがほとんどで、130試合のシーズンが多かったことは述べておく。
続いて王選手の通算成績を見てみよう。歴代順位は打率部門で14位、得点で1位、安打で3位、本塁打で1位、打点で1位、四球で1位、二塁打で3位、打席で2位、長打率で1位、塁打数で1位、打数で4位となっている。彼は通算成績で多くの部門でトップに君臨しているが、それだけでなく彼に次ぐ選手を大きくリードしてもいる。それぞれ2位に対して、311得点、211本塁打、182打点、547塁打、長打率では43ポイント、そして915四球の差をつけている。もし“NPBエンサイクロペディア”が出塁率を扱っていれば、それもトップに入ってくるだろう(残念ながら掲載はない)。だが、優秀なリーグでの出塁率.445は素晴らしい記録である。王選手の実際の記録(レギュラーシーズン、日本シリーズ、オールスターゲーム、またMLBチームとのオープン戦)は(http://baseballguru.com/jalbright/ohsactuals.htm)にまとめてある。
日本シリーズ
王選手のレギュラーシーズンでの圧倒的な活躍もあり、彼は所属チームを14回にわたってセントラル・リーグ制覇へと導いた。パシフィック・リーグのチャンピオンとの間で繰り広げられる日本シリーズで11回勝利し、MVPを1回獲得した。彼は77試合日本シリーズに出場し、242回のバッターボックスで打率.281、29本塁打、出塁率.465、そして長打率.665を記録した。さらに58得点を挙げ、打点は63であった。14シーズンにわたる日本シリーズでも、王選手の活躍は掛け値なしに素晴らしいものであった。
日本プロ野球オールスターゲーム
日本プロ野球は、毎年2試合または3試合、オールスターゲームを実施している。王選手は現役22シーズンのうち20シーズンでメンバーに選出され、計58試合ものオールスターゲームに出場した。58試合のうち、3度MVPに輝きはしたものの、188回のバッターボックスでのパフォーマンスは殿堂入りに値するものではなかった。オールスターゲームに関しては統計の合計のみ記しておく。王選手は13本の本塁打を放ち長打率は.463を記録している。
しかし打率はわずか.213で、四球をそれなりに(33回)選んだものの出塁率は.330となっている。このパフォーマンスのみが彼の殿堂入りに対しての反証となった。しかし、それはわずか188打数、平均で毎年11打席のサンプルを用いた評価でしかない。また、MLBのオールスターゲームでも平均打率は.250以下と普段の試合より低くなる傾向もあり、オールスターゲームは投手有利である様子が見受けられる。そのためこの反証は重きをおくのに値しないものだろう。
MLBチームとの交流戦
王選手はメジャーリーガー相手に合計110試合を戦った。それらは、10月、11月の日米野球またはスプリングトレーニングの期間に組まれた試合だ。彼は、合計338回のバッターボックスで打率.260、出塁率.413、そして四球を88個選んだ。また、二塁打を14本、本塁打を25本放ち、長打率は.524を記録している。(本塁打を放った投手は下記参照)
これらの数字には1971年のオリオールズ相手に喫した54打数6安打、60年の12打数0安打という不振に終わったケースも含まれている。我々は71年の結果に関しては、スランプに陥っていたかどうかにかかわらず対象外としないことにしている。だが60年は、入団わずか2年目であったこともあり、MLBの投手と対等に渡り合うには厳しいレベルにあったと判断し、対象外とすることを決めた。
60年の成績を除くと打率、出塁率、長打率はそれぞれ.270/.414/.543へと上がる。これらのパフォーマンスはMLBで用いるものより小さい日本の球場で見せたケースがほとんどである。それでもMLBでも平均以上のレベルにあったと考えられる投手相手に、このような結果を残したことの素晴らしさに変わりはない。
王選手が本塁打を記録したMLB投手(*印は左腕)
ハンク・アギーレ*, 1962
ニック・ウィライト*, 1966 (2本)
アラン・フォスター, 1966
ジョー・モエラー, 1966
ジム・ブルワー*, 1966
スティーブ・カールトン*, 1968
ディック・ヒューズ, 1968
ネルソン・ブリンズ, 1968
レイ・ウォッシュバーン, 1968
ラリー・ジャスター*, 1968
ウェイン・グレンジャー, 1968
フランク・レバーガー, 1970
フランク・リンジー, 1970
パット・ドブソン, 1971
ジム・ポルマー, 1971
ディック・ホール, 1971
ジェリー・クラム, 1974 (2本)
ジェリー・コースマン*, 1974
ジョン・マトラック*, 1974 (3本)
トム・シーバー, 1978
トム・ヒューム, 1978
25本の本塁打のうち、4本がレフト、1本が左中間、3本がセンター、5本が右中間、そして12本がライトへのものだった。
王選手が対戦した投手をみると、MLBの中でも優秀な投手と対戦していたことがわかるだろう。なお、王選手が所属した読売ジャイアンツはMLBのリーグチャンピオンと3度対戦している。また、読売ジャイアンツが対戦したMLBチームの実力を参考にして勝敗記録を導き、対戦試合数で重み付けし162試合に換算すると、92勝70敗の実力だったという評価もできる。
さらにもっと確証が必要と考える人のために、王選手が本塁打を放った投手の中央値を見てみよう。我々はすべての記録を持っているわけではないので、ここでは控えめに予測するのが妥当だろう。そこで投手が50イニング以下の登板でない限り、王選手に本塁打を許した投手の当年と翌年の防御率を参考にした。投手が2シーズンで50イニングに満たない場合は例外とする。(このルールではディック・ホールとジェリー・クラムが50イニングに満たない)
王選手は防御率5.00以上の投手から本塁打を2本放ち、4.00以上の投手からは4本放った。本塁打を許した中央値の左投手は防御率2.92、そして中央値の右投手は2.80であった。全体の中央値の投手防御率は2.85となった。MLBにおける1962年から75年までの平均防御率は3.55、最も低い防御率は1968年の2.98となっている。
ここから、MLBチームとの交流戦で王選手はMLBでも平均以上の投手を相手に本塁打を放っていたということが合理的に説明できる。すべての要素を考慮すると、このカテゴリーではオールスターでの成績においてのマイナスはあったものの、彼の現役時代のパフォーマンスは殿堂入りに値する記録を残したと評価できるだろう。
Ⅱ. 王選手自身や王選手を実際に見たり、対戦した人たちの証言(主観的な記録)
王選手に対する批評は、彼が現役時代に圧倒的な成績を残したということを合理的に否定できない。王選手が殿堂に値しないとする主張の多くは、記録が日本の小さな球場、または二流投手相手に達成されものだとして軽視するものだ。もちろん、もし日本の野球がアメリカの高校生のレベルなら王選手はクーパーズタウンの住人になることはあり得ない。しかし、NPBはとても優秀なリーグである。次に、我々は以下の2つの疑問への答えを見つけなければならない。
1)王選手の時代のセントラルリーグの投手の実力はどんなものだったのか?
2)王選手のパフォーマンスは殿堂入りに値するレベルに達していたのか?
この問題に対処する方法は2つある。ひとつは、ニグロリーグでプレーした選手を評価するケースでも重要視した、彼のプレーについての周りの人間の証言を参考にするものである。今回の場合、証言を拾っていくのは王選手のプレーを実際に観たMLBスカウト、選手、そして監督などに絞るのが妥当だろう。もうひとつの方法は、王選手の記録をMLBに相当するものに統計的に変換するものだ。(このセクションでは、それらに加えて王選手のケースに関する他の主観的な問題も取り上げる)
王選手の現役時代のセントラル・リーグの平均的なプレーの質の議論を進める前に、いくつか重要なポイントがある。まず平均的なレベルの違いは、王選手のプレーの質を評価することのみに役立つ。ただこのポイントを掘り下げることはしない。たとえばある選手が現在のMLBのレベル以下のリーグでプレーしているとすると、人々は直感的に以下のようなロジックにたどり着くからだ。
1)20世紀のMLBよりレベルが低いリーグはマイナーリーグとみなす。
2)そのようなリーグのスターはマイナーリーグのスターでしかない。
3)だからマイナーリーグのスターは殿堂入りできない。
このロジックの問題は、NPB、ニグロリーグ、そして19世紀のベースボールは、現在のようにベストプレーヤーがMLBでプレーする機会が与えられていなかったことだ。上記の3つの状況下で、実際のプレーの質に関係なく、競技の頂点にあったリーグで選手達は合理的に競争することができた。ニグロリーグのスター達は、ほぼMLB相当のレベルであったため、殿堂入りできる素質を持っていた。NPBのスター選手達も殿堂入りに値する選手は多くはなかったにしても、MLBレベルであったに違いない。そのため、この2つのリーグのスター達を評価する際の基準としてリーグの平均的なレベルを用いることはできない。当時MLBへ選手移籍が行われていなかったリーグのプレーヤーを適切に評価するためには、手に入るすべての記録を慎重に扱う必要がある
王選手の証言
記録を扱う上で注意事項を述べたところで評価に入っていく。今現在、NPBの質は、マイナーリーグのトップクラスに匹敵するとみられる。もしくは、マイナーリーグのトップよりも少しレベルは上かもしれない。
この評価の例として、ビル・マックネイルとフレッド・イバーキャンプベルの著書に王選手本人が日本野球について語ったことが記されている。(これは1971年にオリオールズ相手に54打数6安打を記録した後、または最中に彼の口から出た言葉とされている)
「1966年にドジャースが、68年にカージナルスが来日した際、私はアメリカ人と戦えると感じた。しかし、オリオールズと対戦した今、彼らはとても手ごわく、我々がアメリカのレベルに達するまでは長い道のりがあると感じている。もしかしたらその瞬間が来ないかもしれない。肉体的に我々より強い。彼らのギャップを埋めようとしているが、それはまだとても大きなものである」(1971年12月15日版のスポーツ・イラストレイテッド誌31頁)
残念なことに王選手自身の批評は、MLBの舞台では通用しないというものだった。次に(過去を振り返る形で)1997年8月14日版のベースボール・ウィークリー誌にて語られたことをみてみよう。
「もし機会があったらメジャーの舞台でプレーしてみたかった。でも叶わなかった。(何本の本塁打をMLBで放つことができたと思うか? という質問に対し)わからない。投手はより厳しく攻めてきていたと思う。三振の数は日本でプレーした時より増え、本塁打は755本には届かなかったがそこそこ打てただろう」
プレーの質や球場の小ささから王選手の成績を批判している人側に立って考えるならば、実際に殿堂入りしている選手の基準から彼を下回らせるために、日本での実績をどのように扱うのかを理解する必要がある。ここでは運動能力向上薬を使ったピート・ローズなどは対象外とする。(マグワイア、ソーサ、パルメイロ、シェフフィールド、アレックス・ロドリゲス、そしてマニー・ラミレスなどがこのカテゴリーに当たる)さらにプーホルズなどといった殿堂入りの可能性はあるがまだノミネートされていない選手も対象外とする。いくつかの項目で、達成した全選手が殿堂入りしている最低ライン(編集部注:例えば541本塁打を放った選手は全員殿堂入りしている、というライン)と王選手の記録を比較してみる。
ここでは、全ての選手のみを対象としているため、中央値と下値は対象外である。要するに、王選手の殿堂入りの可能性をなくすためには、彼の日本での実績をどれだけ過小評価しなければいけないかがわかるだろう。
MLBの長いシーズンに対応できたのか
さらに大きな問題として、これらの記録はMLBよりも短いシーズンで達成されているということがある。NPBのシーズンはMLBよりも20%ほど短い。一般的にシーズンが長ければ選手は疲れると考えられるが、これは正しい指摘である。しかし、王選手のトレーニングが当時のメジャーリーガー達と比べ劣っていたかと言われるとそうではない。王選手はハードワークする日本人の中でも特によく練習する選手として知られていた。当時の日本人選手、そして王選手がどれほど練習していたのだろうか? 1978年7月13日のワシントン・ポスト紙に掲載されたウィリアム・チャップマンのコメントを見てみよう。
(後にMLBで監督を務めることとなる)チャーリー・マニエルはこう言っている。
「筋トレ、バッティング、ベースランニング……そしてジョギングでもとんでもない量を走らされた。試合前にして疲れ切ってしまうことは、日本でプレーする外国人選手達の不満だった。日本人選手達は1年中鬼のように練習するが、外国人選手も彼らと同様の練習を求められる。18時半からの試合前に5時間にも及ぶエクササイズと練習、ミーティングが行われる。試合前に守備と打撃の練習を少しだけ行って試合に臨むのが普通のアメリカ人選手にとって、それは驚きだった」
同じ記事で、投手のクライド・ライトは「春季キャンプはアメリカの4倍きつい。10時に球場へ行き、16時半に終了し、そこから3.5マイル走ってホテルへ戻る。全員がそれをやる」とも語っている。
王選手の練習習慣について知るには、彼がどのように練習に取り組んだかが書かれた『A Zen Way of Baseball』(王貞治、デービッド・フォークナー著/1984年)という本がある。彼はテクニックを完璧なものにするための練習にかなりの時間を費やした。描かれた挿し絵を見ると、その練習はチャップマン氏の記事で描かれているよりもはるかに激しいものだったようだ。この本を読めない人たちのために、1977年8月15日のスポーツ・イラストレイテッド誌でのフランク・デフォードの王選手についての記述を紹介しよう。
「13時半開始の試合に向け、王選手は10時半に球場に到着する。彼はこのルーティンを崩さない。バッティングケージで1時間半打ち込んだ後、クラブハウスに行き、10分間鏡の前で素振りを行う。それからグラウンドへと戻り、コーチから左右に大きく振られるハードなノックを15分間受ける。この時、彼は37歳の日本野球界のベストプレーヤーでありながら、夏の暑い日差しの下で厳しい練習に耐えている。試合に敗れた後は、2〜3時間の厳しい練習が待っている。全選手がこのスケジュールに耐えるが、王選手はその中でも最もよく練習をした。通常ならシーズン後半は体重の減少とともに成績を落としていくが、王選手はシーズン後半に失速することなくシーズンを終える」
このような生活を続けてきた王選手であれば、確実にMLBの長期的なスケジュールにうまく対応しプレーレベルを維持することができただろう。もちろん練習量は減らさねばならないだろうが。彼の記録をメジャーリーガーと比較するには、彼がより多くの試合に出場したと仮定する必要がある。常識的に考えれば、MLBと優秀なプロのリーグの違いはあるが、王選手がそこまで殿堂入り選手と比べ劣っているということはないだろう。
王選手はMLBの広い球場でも本塁打を打てたか
王選手は小さな球場で小さな本塁打を連発していたわけでもない。宇佐美徹也氏が著書で王選手の本塁打の推定飛距離について記述している。そのチャートによると、191本の本塁打が当時の全MLB球場でフェンスオーバーしていたであろう120m以上で、286本が110mから119m、そして289本が100mから109mであるとしていた。100m以下はわずか102本であった。しかしヤンキースタジアムなどの両翼が狭い球場ならば、これも本塁打になっていただろう。忘れて欲しくないのは、彼の時代、投手は現在のように速いストレートを投げていたわけではないことだ。王選手は自らのスイングのパワーでボールを遠くへ飛ばしていたこととなる。
また、王選手の本塁打の方向は、612本がライト、140本が右中間、そして残りの116本がそれの以外であった。(http://baseballguru.com/jalbright/ohshrs.htm)に彼の本塁打の内訳が記載されている)要するに王選手は典型的なプルヒッターであった。相手チームは王選手が打席に入ると、MLBでテッド・ウィリアムズに対し用いられたようなシフトを敷かれていた。王選手はそのシフトの狭い隙間を破ってヒットを量産し、通算打率.300以上を実現した。MLBのより大きな球場でプレーすることとなっていたら、シフトを敷かれたとしても、広い外野の芝が彼のヒットゾーンを大きくし、アドバンテージをもたらしていただろう。
「4ストライク」問題について
デフォードが執筆したスポーツ・イラストレイテッド誌の記事によると、王選手は自身が打席内で「4ストライクを持っていた」と語ったとされている。(ただし後に彼はその声明を否定している)王選手の所属していた読売ジャイアンツは日本で影響力が最も強いチームであるため、審判が読売ジャイアンツの選手に有利な判定をしていたことを示唆する言葉である。他のライターも同じように王選手が判定で有利になっていることについてほのめかしている。それは「王ボール」と呼ばれるもので、審判が王選手の選球眼を尊重し、厳しいコースを見逃した場合それをボールとして扱っていたというものだ。
これについては、アメリカでも同じようなことがテッド・ウィリアムズと審判の間で行われていたが、私は日本の審判が王選手と読売ジャイアンツに対し丁寧にジャッジをしていたという表現が正しいように感じる。その時代の読売ジャイアンツには、王選手の他にも、長嶋選手、そして柴田選手といった我慢強い打者が何人も在籍しており、それが四球を増やしていたとも言える。判定に対する指摘の背景には、9年連続でチャンピオンに輝いていたチームに対する妬みもあったのではないか。王選手の900回以上というずば抜けた四球の多さから考えれば、彼の選球眼が優れたものであったのも間違いないところだろう。
もうひとつの問題としては、王選手に実際MLBでプレーするチャンスがあったかどうかということである。前述された王選手の言葉から、彼にそのチャンスはなかったと思われる。彼の現役時代はアメリカでプレーすることが不可能な契約状況があった。日本野球とアメリカ野球の歴史の調査からも王選手のコメントが信頼に値するものと考えられる。歴史についてはhttp://baseballguru.com/jalbright/analysisjalbright15.htmlを参照してほしい。
元MLB選手達の証言
さてここからは実際に王選手のプレーを見た人々が語っていることに目を向けてみよう。自伝などに記された王選手自身の証言も興味深いが、それ以上に王選手のプレーを見た、または対戦したMLBの選手たちの証言はそれ以上に興味深い。彼らは王選手がただ者ではなかったと口を揃えている。我々が発見した証言のなかで最も否定的だったものですら、王選手はアーロン、ルース、そしてメイズ級ではないというもので、王選手が殿堂入りに値する実力をもっていたことを否定するものではない。それ以前に、もし王選手が素晴らしい選手だと認められていなければ、そういったレジェンド達と比較されることがまずない。我々が採用した証言は以下に記すが、それらの多くは王選手がMLBの舞台でもスターとなりうる可能性を持っていたとするものや、殿堂入りできる実力を持っていたとするもの、さらには殿堂入りの基準記録に達していただろうというものであった。
デービー(デーブ)・ジョンソン(王選手とアーロンどちらともチームメートとなった唯一の男)
「王は700本の本塁打をMLBでも放っただろう。世界のどこでも彼は素晴らしい打者だよ。素質は素質」(1978年1月7日版のThe Sporting News誌37頁より)
「守備力が彼より優れている一塁手を見つけることはできないだろう」(1977年8月15日のスポーツ・イラストレイテッド誌より)
トム・シーバー
「彼は確実に私から本塁打を放つだろう。とんでもない打者だった。彼はコンスタントに打ち、パワーもある。アメリカでプレーしていたら、毎年20〜25本塁打を放っただろう。それ以上に打率で三割は打っていたように思う。彼は通算で打率三割打てる打者だ。打席の中での雰囲気があり、ストライクゾーンもよく把握している。どんな投球にも対応することができ、変化球でごまかすことなんてできない」
ハル・マクレー
「王は、打者としてとても我慢強い。パワーもある。MLBで何本打てたかはわからないが最低でも年間20本は計算できただろう。彼はオールスタークラスの選手だ。殿堂入りもできたかもしれない」
ピート・ローズ
「MLBでプレーしていたら、彼は確実に800本打てていたに違いない。彼に有利な球場でプレーしていたら、年間35本、打率でも三割打つだろう」
ドン・ベイラー
「王は、時代を超え、国境を越えプレーできていただろう。彼のような左のプルヒッターが、ヤンキースタジアムでプレーしたら、年間40本打っていたに違いない」
フランク・ハワード
「もし王が年間30~35本、.280~.320、そして120打点記録していなかったら私をぶっ飛ばしてくれ。何が言いたいかというと、彼はどの時代でもスターであったということ」
グレッグ・ルジンスキー
「彼の才能は素晴らしい。彼がアメリカに来ていてもいい選手だったことに疑いはない」
ブルックス・ロビンソン
「彼はこの大きなリーグで世界の優秀な選手と共にプレーできていただろう。さらに打撃でも結果を残せただろう。本塁打数はそこまで伸びないと思うが、打率は残せただろう。彼はとても傑出した打者だった」
フランク・ロビンソン
「30本台または40本前半の本塁打数を記録できただろう。30本を積み重ね、日本と同じ年数プレーしていたら600本は打っていただろう。」
ドン・ドライスデール
「MLBでも率とパワーを兼ね備えた打者であっただろう。彼のスイングに有利な球場でプレーしたら、何本打てていたことだろう。彼は常にどんな投球に対しても準備万端だった。我々は感動した」
数々の素晴らしい選手達からこれだけの高評価を受け、どの選手も彼が普通の選手ではなかったと口を揃えていたことには驚くばかりだ。
パート2へ続く。
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