• 1.02 Column


2019年10月6日、投手・監督・評論家として知られた金田正一氏が逝去した。享年86歳。現役を引退したあとも長く野球界に関わり続けて多くの足跡を残したが、まず想起されるのは投手として400勝を記録したことだろう。

セイバーメトリクスでは重要視されない「勝利投手」


投手の勝ち星というやつは数多あるクラシカルな指標の中でも、旧世代型指標の代表に数えられるかもしれない。勝利投手はかつて投手の能力を測る最大の指標として重用されたが(注1)、少なくとも現代のセイバーメトリクスの記事の中で中心的に取り上げられることはあまりない。その条件や中身を見るとこの扱いはまあ当然のことではある。しかしこれは打点などと同様、スタッツの黎明期から連綿と続く指標である。せっかく残していただいたものである。別段無理にスルーするものでもあるまい。

以下表1は通算勝利が300を越えた、300勝投手の勝敗表である。

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300勝投手の勝ち星を合計するとちょうどぴったり2000勝になることにお気づきだろうか。鈴木啓示(元近鉄)が引退する時、記録オタクの間では「調整したのか?」というネタ話がひそかに流通したものである。当然のことだがここに名前のあるメンバーはいずれも名うてのレジェンド。勝利数だけを基準にするのであれば、今後、この中に割って入る投手の存在は考えにくく、またそうなる理由もある。

投手の評価については、セイバーメトリクスの定着によりずいぶんと常識が変わってきた様子はある。しかし、洋の東西を問わず勝利数が投手の評価として最も重視されていた時代はある。日本ではオールドファンならすぐに思い当たる節を多々想起できるのであろうが、米国ではサイヤング賞の選考にその形跡を見ることができる。

(注1)より良い条件の契約を得るためには、勝利数が重要な要件であった時期は長く続いていたし、現在でもその傾向はある。「勝利投手」という称号は投手にとって格別の意味を持っているようだ。

規則上、先発投手は5回を投げ切らないと勝利投手の権利を得られないことから、5回を切り抜けるのに全力を使ってしまい、本人が意識しているかは不明だが余力なしのケースがある。場合によってはそこから続投のケースもあることから、ひところは6回の攻撃時に突出して多くの得点が記録されていた。また、リードしているチームが5回の守備中に(特に2アウト時)先発投手を交代させるには、監督は相当な蛮勇をふるわなければならない。

これらはどの程度の不利益をもたらしたか、やり直しがきかない以上、確実に計測する方法はない。しかし、試合における勝利以外の要件が、戦術の最適な選択に影響していることは明白であり、「勝利投手の概念」が少なくとも何らかの弊害はもたらしている。


「勝利投手」の重要性の変遷

 

表2-1~2-4はそれぞれ1970年、1973年、2010年、2018年のMLBのサイ・ヤング賞の投票結果を示したものである。表内で黄色く着色したものはタイトルを示している。

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まず1970年の表2-1を見ると、トム・シーバーよりも勝ち星が多かっただけのジム・メリットが、シーバーより上位に来ているというだけで今昔の観がある。今なら本命がボブ・ギブソン、対抗がシーバーといったところだろうが、シーバーは7位と投票結果はまったく異なる。今の目で見てこの結果が少々常識外であるのと同様、当時の見方からすれば、2010年や2018年の選考はまったく常識外のことであろう。

サイ・ヤング賞が、初めて最多勝ではない投手に与えられたのが1960年。当時はまだまだ投手の勝利数が重要な項目であり、その後も最多勝投手以外のサイ・ヤング賞受賞は稀にしか発生しなかった。これが1973年頃から潮目が変わり始めたようで、初めて勝ち星20勝未満の投手(NYM・シーバー)が生まれたばかりではなく、反対側のア・リーグでも最多勝以外の投手が受賞(BALのジム・パーマー)。2000年代に入ってから、特にナ・リーグでは最多勝投手が選ばれる方が少なくなっている。蛇足だが、昭和34年(1959年)のセ・リーグの新人王選考にも、常識の変化の形跡を窺うことができる。

村山実(阪神)
54試合18勝10敗295 1/3イニング 防御率 1.19(リーグ1位)294奪三振

桑田武(大洋)
125試合 打率.269 31本塁打(リーグ1位) 84打点 盗塁25

現代の常識ならば新人王は村山で間違いないだろう。MVPまで考えられるほどの成績だ。しかしこの年の新人王は桑田であった。当時の常識からすると村山は勝ち数が不足していたようである。


勝利・敗戦投手が記録される構造

 

さて、勝利投手、敗戦投手が記録される法則について考えてみよう。通常9イニングでチームには必ず勝利か敗戦がつく。当然のことながら9イニングに1人は勝利投手か敗戦投手(以降責任投手と呼ぶ)が生まれることになる(ただし、エックス勝ちや延長戦、引き分けなどの例外があるので正確には一致せず、過去の例からは8.8イニングほどになるが、この後の数字はモデル的なものと理解いただきたい)。

そのためチーム全体では、投球イニングを9で割った数が責任投手の合計数になる。個人レベルでは、先発で降板後に試合が大きく動くことが多かった年は少なめの勝ち負けになるなどバラツキは出るが(当然逆の場合もある)、長い目で見ればこの法則に沿うことになる。

さてここで冒頭の300勝投手に話を戻そう。彼らがイニングあたりどの程度のペースで責任投手になっていたか、比較したものが表3だ。

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数字が小さいほどハイペースで責任投手になっていたということになる。この中で見ると、金田、米田哲也(元阪急など)がハイペースで責任投手となっていたようだ。

彼らが活躍した昭和30年代は第2先発を彷彿とさせるような起用が流行し、イニング/責任投手が低くなる時代であった。同点あるいは競った試合では途中からエースを投入して勝ちに行くような、現代では考えられない戦術が流行した時期である。優勝チームのエースで救援勝利の方が多い投手(1960年大毎・小野・33勝中救援21勝)まで出現している。

また、歴代通算救援勝利数の上位投手もこの時期に集中している。金田の責任試合の多さはこの時代の影響が強い。また金田の場合、所属チームが国鉄という当時のドアマットチーム(注2)で頼れる投手が少なかったことも、その傾向に拍車をかけていただろう。

ほかには先発の割合が高く、試合の趨勢が決定するまでマウンドに立ち続ける頻度の高かった鈴木も8.29イニングに1つとやや多い。

結局のところ、通算で多くの勝利数を稼ぐには、必要条件として多くの責任投手数を記録するほかない。投げるたびにほぼ勝てる時期などというのは、どんな大投手にもごく短いスパンで存在するだけである。チームが記録できる勝率をかけ離れて勝ち続けられるものでもない。結果、「9イニングでチームに必ず責任投手1人」の法則から、多くの勝ち星を得るには多くの責任投手数を記録するほかなく、多く責任投手になるためには多くのイニングを消化するしかないことになる。

短いスパンでは1球勝利投手などという例も存在する。中継ぎで勝利数に恵まれた投手がいるように見えることもある。しかし、この投手もそうそう続けて勝利を獲得できる条件で登板できるものでもない。まったく勝敗が増えないままイニング数を消化していく時期も当然ある。その結果、長い時期を通算すれば勝敗数はこの法則に近づいていくしかない。

(注2)スポーツにおいてドアマットのように他チームに踏みつけられる弱いチーム

金田はリプレイスメント・レベルとの比較でこそ真価が発揮される

 

これは、異なる視点から見るならば金田のような投手は リプレイスメント・レベルの投手との比較が最も適切な評価となることも意味する。責任投手数が多いこと、すなわち長いイニングを消化することは、それだけ多くリプレイスメント・レベルの投手の登板を妨げているからである。

ただ実際にリプレイスメント・レベルの投手と比較するといっても、昭和30年頃までの野球については、現代の野球と同列には語れない部分があり、その設定も難しいところではある。しかし、上下のブレは大きいものの、 tangotiger(米国の著名なセイバーメトリシャイン)あたりの提唱する基礎数値に収斂するバイアスも見られることから、算式に従い、平均的な野手が後ろを固めた時に勝率0.380の結果を残せるレベルをリプレイスメント・レベルとした。

以下、表4はFIPベースの成績による得点換算(RAR)である。リプレイスメント・レベルの投手と比較して通算でどれだけ多くの利得を叩き出したのか、ほかの300勝投手及び稲尾和久(元西鉄)と比較した。

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この指標は「無事是名馬」を大いに評価する。これで見ると、現役が短かった稲尾の数値はやはり印象よりも伸びないようである。FIPではなく失点率ベースで計算したRSAAなどで見ると、現役の投手であるがダルビッシュ有(カブス)あたりの方が良好な結果を示しており、NPBに残留していれば稲尾を越えていた可能性がある。しかしこの通算指標となれば流石に金田には届かない。

またともにシーズン42勝を記録した稲尾(1961年)とスタルヒン(1939年)であるが、シーズンベストでスタルヒンの方が上位に来たことが、計算前の予想からすると意外だった。また2位グループの3人がほぼ同じ数字なのも面白い。

結局のところ、一定のレベルで投げ続けることは、特にチームの編成側にとって大きなメリットとなる。金田の真価は400という圧倒的な記録となった勝利数よりも、リプレイスメント・レベルとの比較でこそ測ることができると言えるだろう。


道作
1980年代後半より分析活動に取り組む日本でのセイバーメトリクス分析の草分け的存在。2005年にウェブサイト 『日本プロ野球記録統計解析試案「Total Baseballのすすめ」』 を立ち上げ、自身の分析結果を発表。セイバーメトリクスに関する様々な話題を提供している。


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