• 1.02 Column


「松坂世代」と呼ばれる年代の選手たちがいる。早くから優れた資質を持つ者が多く含まれ、プロ入り後に確たる地位を築いた選手も多い。

「松坂世代」屈指の名選手・杉内と村田


昭和55年(1980年)、当時1年生だった早稲田実業の荒木大輔が甲子園でセンセーションを巻き起こした。これにあやかって名付けられた松坂大輔をはじめとする「松坂世代」の多くの選手はすでに多くが引退してしまった。そういう時代が来てしまったとことは感慨深い。自分もその分年齢を重ねていることに否応なく向き合わされる。最近ではずいぶんと子供の名付け方が変わってしまったようだが、次に来るかもしれない大輔はリアルタイムで3代目となる。どんな大輔になるのか少々楽しみである。

そんな世代の、長く活躍したメンバーのうち、今季を最後に、現役から退いた2人の選手についてコラムを求められた。この2人については、NPBの選手として最後のシーズンに出場がなかったという点について共通している。ダイエー・ソフトバンク→読売の杉内俊哉と横浜→読売の村田修一がその2人である。

同世代とあって当然のことながら同い年。今年の年末までに38歳となる。デビューは杉内が2002年、村田が2003年。いずれも高卒での入団ではないにもかかわらず、15年を超える長命選手であった。


過去50年で十指レベルの大投手。杉内と縁の深い200奪三振


杉内はダイエーでプロ生活をスタート。北海道在住の日本ハムファンである筆者からすると、同時期にダイエーを支えた左腕の和田毅とあわせて厄介な相手であった。特に杉内は、日本ハムが札幌に移転した直後にライバルチームでブレイクしたという意味でも思い出深い。当時のダイエーは投打に強力メンバーを揃え、日本ハムがダルビッシュを札幌に迎え入れるまでは全く勝てる気のしない相手であった。

杉内は日本の左腕に多く見られる、三振でアウトを稼ぐことによって相手に得点を許さない投手であった。2005年には最多勝(18勝)と最優秀防御率(2.11)の投手2冠に輝いたが、より注目すべきはこの年に奪った218奪三振だ。歴代のホークス球団の投手としては45年振りにシーズン200奪三振を記録した。それ以前にマークした最後の投手は1960年の杉浦忠の317個であるから、ずいぶんと長い空白期間があったものである。

ちなみにこれはこの記録に関してNPBの歴史上で最も長い空白期間である。この2005年の時点で所属選手が最後に200奪三振を記録したシーズンが最も古いのが読売の1981年(江川卓・221奪三振)であり(注2)、それ以前の期間を見ても、チームの歴史上40年以上もの空白期間を作った球団はない。特定の投手の登板イニングがかさみ三振数が伸びやすい古い時期(1960年代)から、優勝常連チームの時期があったにもかかわらず、ホークスが200奪三振投手を輩出できていないことは非常に意外なことであった。1960年代に入ってからの投手育成に問題があったのか阪急の後塵を拝するようになり、その後の低迷期を迎えている。歴代のホークス球団の200奪三振投手は杉内以前に3人のみと意外に少ない。(注2)。

 

杉内は2003年にローテーション投手の地位を確立してからは成績の波が小さい。FIP(Fielding Independent Pitching)での計測では、リーグ平均と比較して常に1点程度は失点率が低いため、杉内先発時の所属チームは毎試合1点のハンデを持って試合をしていたようなことになる。2年だけこのようなマージンを築けなかったシーズン(2004年、2006年)があるが、2004年は自分の投球内容が悪いことに怒った本人がベンチを殴り骨折し、残りを棒に振ったシーズン。2006年はWBC出場により調整が上手く運ばなかったシーズンである。怪我の話はMLBで聞くような日本では珍しいたちの話であった。冷静そうな風貌に似合わないエピソードとして印象的だ。

失点率をリーグ平均と比較し、平均的な投手が同じイニングを投げていた場合に比べどれだけ失点を減らしたかを表すRSAA(Runs Saved Above Average)の累計は200を超え、FIPと傾向は同じ。さまざまな指標のいずれをとっても杉内によってもたらされた利益は大きく、見方によっては過去50年で十指に数えられる大投手である。

13球団(近鉄含む)すべてから勝ち星を挙げる、両リーグで三振奪取王(史上初)、ノーヒットノーラン達成、2000イニングを要せずに2000奪三振を記録(史上最速)など、その現役生活はよく知られた数々の記録に彩られている。2012年のノーヒットノーランは26人目までをパーフェクトに抑え、27人目に四球を与えての結果。最後の1人は2ストライクまで追い込みながら四球を与えてしまったが、2ストライク後にボールと判定された際どい球があり(筆者の目にはストライクに見えた)、球審が自分の手で完全試合を確定させてしまう重圧を感じさせられたものである。


(注1)
ちなみに近年で最も空白期間が長かったのは読売である。1981年の江川の後、36年間に渉って継続した空白期間は、今季ついに菅野のジャスト200個の奪三振によって幕を下ろすこととなった。10月4日の9回に広島のスラッガー・丸佳浩から奪った三振は歴史的なものだったのである。

(注2)
歴代のホークス球団で杉内以前の200奪三振投手は、わずか3人延べ6回だが、どの投手も極めて興味深い。

宅和本司 1954年、1955年達成
高卒デビュー初年度から2年間。1954年275奪三振はパ・リーグ新記録
杉浦忠 1958年、1959年、1960年達成
大卒デビュー初年度から3年間。1959年336奪三振はパ・リーグ新記録
清水秀雄 1940年達成
大卒デビュー初年度。圧倒的な270奪三振と、現代では投手として立ち行かないであろう217与四球を記録。おまけに投打二刀流で規定打席到達と、話題の多い選手である。同年代に空前絶後のノーコン剛球投手・亀田忠が居たために目立たないものの型破りの異色選手

出塁よりもパワーに偏ったスラッガー・村田


村田は強打の三塁手として15年間のNPBキャリアを全うした。

最大のインパクトは2007年、2008年の2年連続本塁打王であろう。特に2008年は長打率.665でセ・リーグをリードし、金本知憲、小笠原道大、アレックス・ラミレス、内川聖一らスラッガーを抑え、OPSで1位に輝いている。wRAAやRCAAといった攻撃力全般を評価する指標も軒並みリーグ首位。それも次位をかなり引き離してのものであった。この年、標準的な打者ではなく、村田が1年間打席に入ることにより得られた利得はどの指標でも50得点分を超えており、これは毎年リーグに存在するとは限らないレベルの傑出度である。

村田はデビュー以来一貫して出塁系ではなく、パワー系の打者としての特性を示し続けた。これだけのスラッガーにしては出塁率が高くない。リーグの平均出塁率(投手を除く)を下回るシーズンの方が多かった。これに対して長打率の方は一貫して高く、2004年と2015年の計2度、平均(投手を除く)を下回っただけなので、純粋なパワー系の打者と評することができるだろう。

打力がこのレベルであれば警戒されて四球が多くなるが、村田はあえて四球獲得から距離を置いた打撃スタイルを最後まで貫いている。通算打席数7754に対して四球は594にとどまっており、その比率(BB%)は7.66%。これはスラッガーの中ではかなり低い数値である。例えば王貞治であれば通算11866打席に対して2390四球で、その比率は20.14%にまで達する。これほど極端でなくとも、清原和博で15.65%、落合博満で14.54%、金本知憲で13.11%といった数字が残っている。彼らは投手から見て気軽にストライクを取りに行けない打者であり、警戒されることが四球増の1つの要因となっていた。

300本塁打を達成した42名の中で、村田の7.66%は低い方から数えて3番目になる。最小はラミレス(注3)。ほかにもやはり積極的に打って出る方に偏ったスタイルの打者が並ぶ。それは村田についても同じである。

村田は、2007年広島の佐々岡真司の引退試合における物議をかもした事件(注4)でも知られるように、出処進退の判断が分かれるような微妙な場では必ず前に出ることをモットーとしていたようにも見える。ちまたに知られた「男・村田」のキャッチはこういうところからも始まっているのかもしれない。

守備面では、UZR(Ultimate Zone Rating)における村田の評価は決して高くない。しかしこれはUZRが国内に導入されるタイミングで、ちょうど選手として下り坂にかかってしまった巡り合わせの問題もあるだろう。他の守備指標ではあるが、20代では水準を上回る守備力を見せていた形跡もある。村田個人に限らず、守備力は一般に思われているよりも早くピークに達し早く衰える。この法則の例外はごくわずかであり、村田の場合も正直な力の推移を示したに過ぎない。

攻撃面で200点レベルの利得を稼ぎながら、他球団に伍して劣らない守備力を示す選手はいかなる時代であれ、得がたい好選手である。


(注3)
ラミレスのBB%は4.31%であるが、これは300本塁打を記録するような選手として更新不能レベルの数字である。明らかにほかの選手とは一線を画している。四球はほぼ意識しない打撃スタイルでないとこのような奇妙な数値は現れないと思われる。 2番手は大洋ホエールズの松原誠で、それでも7%を超えている。ただし7%台から9%台あたりは少ないとはいえ散見されるので、5%、6%台をすっ飛ばしたラミレスの振り切れ方が際立つ。

(注4)
佐々岡の引退試合で本人から本塁打を放ってしまった事件。当時の常識として引退する選手には花を持たせるのが恒例になっており、始球式のボールを打つような、見慣れぬものを見た驚きはあった。この1本で単独本塁打王となったが、打たなくても並びの本塁打王は獲得できていただけに、余計にネット上で叩かれたようだ。ただし、広島及び佐々岡側から事前に「普通に真剣勝負をするように」と断りが入っていたことが判明しており、異常なこととは言えない。現在では常識は変わりつつあり、最後の登板で打たれてしまうのは大珍事でもなくなっている。カウント3-1で、ボール球だったようであるのも印象的だ。「空気」に逆らいたくないという意識が働けば微妙なボールは見逃してお茶を濁すこともできただろう。

道作
1980年代後半より分析活動に取り組む日本でのセイバーメトリクス分析の草分け的存在。2005年にウェブサイト『日本プロ野球記録統計解析試案「Total Baseballのすすめ」』を立ち上げ、自身の分析結果を発表。セイバーメトリクスに関する様々な話題を提供している。

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