必ずゼロになるゲーム
野球・囲碁・じゃんけんなど、多くの対戦型ゲームが分類されるゼロサムゲームというカテゴリーがある。読んで字のごとく対戦者の利益を合計すれば必ずゼロになるところからこの名前がつけられている。野球ももちろんこのカテゴリーの中の1種目である。これらのゲームでは誰かが1勝を挙げるとき、別の誰かが必ず1敗を喫している。誰かが5得点を得たとき、必ず誰かが5点を失っている。誰かが安打を放った時には必ず誰かが被安打を被っている。天から降ってくる出塁はないし、安打を放とうとすれば必ず目の前にいるこの投手から奪わなくてはならない。相手を負けさせずに勝つことはできない。
ただしすべてのゲーム・スポーツがそうであるわけではなく、スポーツの最大の祭典であるオリンピックの中心競技である陸上・水泳はこのゼロサムゲームではないところが面白いが、大多数の人にとって最も馴染んだゲームの形がこのゼロサムゲームであることも確かである。
ちなみに今年のNPBは日本ハムの日本シリーズ優勝で幕を閉じた。日本ハムファイターズは私の地元のチームであるため、久々の優勝パレードなどがあって大いに盛り上がったものである。結果として4勝2敗で広島カープを下したわけだが、広島の方はちゃんと2勝4敗となっている。
足せばゼロになる以上当然のことだが、ゲームの中でいかに多くの「利益」を積み上げようと、相手がそれと同じだけの利益を積み上げれば自分には同等の「損失」が降りかかることとなり、損益収支はゼロとなる。ゲームに勝とうとすれば相手よりも多くの利益を奪うほかに方法はない。例えば現代の常識では自軍打者9人が3割30本塁打をマークしている打線は常識的には超強力打線である。相手チームはまずこれより劣るだろうから、勝利を得るには十分な攻撃力である。しかし、他チームもやはり同様に3割30本塁打の9人をそろえているのならば、攻撃力によって得られるマージンはない。
そして野球の試合においては直接勝利を獲得する方法はなく、すべてのチームは試合終了時点で相手よりも多くの得点を獲得することによって勝利を獲得することができる。野球の世界における価値はまず得点に見出されなくてはならないのだ。こうしてセイバーメトリクスの指標は多くの場合、得点の形で表現されることとなった。
この種のゲームに共通することだが、目的を勝利に置く以上、ゲームの中で真の価値を持つのは余剰の生産に他ならない。他の打者に対して多く生産した得点、他の投手に比べて少なくとどめた失点がそれにあたる。傑出と言い換えてもいいのだが、「他の打者に比べて多く得点を獲得すること」「他の野手に比べて失点を減らすこと」「同ポジションの選手の中では高い打力を持つ」といったことこそが真の価値である。これは過去の大選手が残した実績であれ、現在進行形で実演されている現役選手のプレーであれ、変わることはない。セイバーメトリクスの世界では、打撃力の価値や総合力の評価は+-の表記で傑出の形に落とし込まれる。近年になってようやく指標化が進んだ守備力部門は、その成り立ちの時点で上記のような視点が定着していたこともあり、最初から傑出の形で算定されている。
これらのことは、すべてのスタッツが最終的に同時代・同リーグの対戦者に比してどれだけの利得を獲得したかの形に収斂しなくてはならないことを現している。
野球におけるセオリーとは何なのか
無死無走者 0.441 1死無走者 0.237 2死無走者 0.089
無死一塁 0.793 1死一塁 0.480
無死二塁 1.057 1死二塁 0.660
無死三塁 1.279 1死三塁 0.913
……
上記は2014~2016年度の3年分の数値を合算した得点期待値表である。考えうるすべての状況から、イニング終了までに得られると統計的に判明している得点の数値の一部である。これらは得点として顕在化済みのものではなく、各状況において攻撃側が持っているポテンシャルであり隠された得点・実質的な価値と表現することもできる。
この表からは例えば無死一塁の状況は攻撃側にとって0.793の得点期待値を有する。過去において無死一塁の状況を迎えたチームは平均してイニング終了までに0.793点を得たということである。これを1死二塁に変えてしまえば期待値を0.660に変えたこととなり、0.133の損失(つまり相手にとっての利得)を計上したこととなる。これにより無死一塁からアウトを一つ渡して走者が塁を一つだけ進むことは、通常は攻撃側にとって割に合わない戦術であることがわかる。アウト1個の価値は一般に考えられているよりも大きいのだ。もちろん打者が投手であるなどといった特殊な事例のことを言っているわけではない。
得点期待値のやり取りという側面から野球を見るとき、日常的に見ていた野球とは異なるスポーツの一面を垣間見ることができるだろう。例えば無死一塁から併殺を奪った場合。守備側からすると相手の無死二塁での期待値0.793を2死無走者の0.089に変えたこととなり、このとき潜在的に0.704の利益を得ている。得点期待値の大きな場面は結果による期待値の振幅も大きく、逆の見方をするならば攻撃側がピンチを迎えているわけでもある。
例えば贔屓チームが無死二・三塁の局面を得たとしよう。一見チャンスとしておおいに盛り上がる場面だが、見方を変えれば大きな期待値を失うピンチでもある。無死一塁ならば最悪の結果である併殺のマイナス0.704から本塁打のプラス1.648まで、振幅の幅は2.352に及ぶ、ゲームの醍醐味が味わえる局面である。
戦術の選択に考えを至らせるならこの表は野球のセオリーの基盤そのものである。確かに現場では打者の打力や相手投手の出来など、斟酌しなければならないことは山ほどあるだろう。マクロ的視点ではなくディテール。こちらの方が解説者などにとって語りやすいのもまた事実だ。結果、放送されるのは「本来ならばAを選択すべきなのだろうがここは○○の事情があるのでBを選択すべき」といったコメントに偏ることになる。どうして「本来は」の部分の説明がないのか、不思議に思われた向きは多いのではないだろうか。この「本来は」のお台はどこからもってきたのだろうか?結果としての選択がどのようなものになるにせよ、この「本来は」の部分はこの表の中にしか求められない。過去のセオリーに関する言説はもしかするとそのほとんどが根拠を持たないものだったのではないだろうか。
第2回に続く