1点差の試合終盤、走者二塁から外野への単打が発生。勝敗を左右する息をのむような場面である。ここで1点が入るかどうか大きなカギを握るのが三塁コーチャーの判断だ。一般的にデータ分析の世界では選手以外がその対象となることは少ないが、今回はこの三塁コーチャーの判断について分析し、モデル化を試みた。
三塁コーチャーの判断を数式で表現する
走者を二塁に置いた状況下で打者が外野への単打が生まれたとき、ほとんどの場合、三塁コーチャーは二塁走者をホームに突入させるか否かの判断を下し、二塁走者へ指示を出すことになる。このとき、三塁コーチャーは試合状況、走者の走力、外野手の打球処理能力や肩の強さ、打球の速さなどを考慮し、セーフになると判断した場合は本塁突入を指示し、アウトになると判断した場合は三塁でストップさせる。
この判断は二塁走者が三塁ベースを踏むあたりまでに下す必要があるため、三塁コーチャーは基本的に外野手の打球処理や送球・中継プレーを観察することはできない。すなわち、三塁コーチャーは100%の確信を持てないまま判断を下すこととなる。
こうした事実を数学的に理解するならば、三塁コーチャーは二塁走者が本塁への進塁を試みた際にセーフになる予測確率pを、意識的にしろ無意識的にしろ算出していると考えられる。そして三塁コーチャーが自チームの得点を最大化しようとすると、以下の不等式が成り立つときに本塁突入を指示するべきである。
(本塁突入を指示したときの得点期待値の増加量)>(三塁ストップを指示したときの得点期待値の増加量)
そして本塁突入を指示したときの得点期待値の増加量は以下のように書き換えられる。
(本塁突入を指示したときの得点期待値の増加量)
=(本塁へ突入してセーフになったときの得点期待値の増加量)× p +(本塁へ突入してアウトになったときの得点期待値の増加量)×(1 - p)
したがって、本塁突入を指示したときの得点期待値の増加量、三塁ストップを指示したときの得点期待値の増加量をうまく求めることができれば、二塁走者を本塁へ突入させるべきか否かの損益分岐点(確率)を算出することができる。これにより、三塁コーチャーは自身の算出した予測確率と損益分岐点を比較することで、得点を最大化する判断を下すことが可能である。
この得点期待値の増加量を算出する方法として、得点期待値表を用いた計算方法がよく知られている。得点期待値表とは、アウトカウント・走者状況の組合せでなる24パターンの状況で、それぞれイニングが終わるまでにどれだけ得点が期待できるかを表す。
表1 アウトカウント/走者状況から求めた得点期待値(2018-20年/NPB)
アウト |
走者なし |
一塁 |
二塁 |
一二塁 |
三塁 |
一三塁 |
二三塁 |
満塁 |
0 |
0.475 |
0.852 |
1.105 |
1.439 |
1.375 |
1.749 |
1.928 |
2.184 |
1 |
0.257 |
0.525 |
0.686 |
0.910 |
0.986 |
1.132 |
1.385 |
1.537 |
2 |
0.098 |
0.222 |
0.324 |
0.434 |
0.354 |
0.498 |
0.554 |
0.750 |
しかしながら、既存の得点期待値表では打順や投手の能力を考慮することができない。そのため、「次の打者が好打者だから、三塁で止めておこう」「相手が好投手で連打が期待できないから、いちかばちか本塁へ突入させよう」といった判断の正当性をうまく数字で表現することができない。
ここで、自然な発想として既存の得点期待値表を拡張し、打順や投手能力を考慮した得点期待値表を作成するというアイデアが思い浮かぶ。しかしながら、あるチームがまったく同じ打順を組むことはシーズンを通しても少なく、信頼できるサンプルを確保することは困難である。
そこで、今回はコンピュータシミュレーションにより疑似的に得点期待値表を作成することで損益分岐確率を求める方法を用いる。
コンピュータシミュレーション
ここでのコンピュータシミュレーションとは、コンピュータ上で野球の試合を擬似的に再現するプログラムのことを指す。シミュレーションでは、各打席について「打席結果の決定」→「走者状況・アウトカウントの決定」の2つの手続きを行う。
1.打席結果の決定
打席結果は、現実の打撃成績を基に乱数を用いて決定する。発生する打席結果は、単打・二塁打・三塁打・本塁打・四死球・三振・凡打の7通り。今回の検証では、各打者について、試合状況(走者状況・アウトカウント)によって打撃成績は変化せず、常に一定である。
2.走者状況・アウトカウントの決定
打席結果が決まったとき、走者状況・アウトカウントがどのように変化するかは1通りに決まらない。例えば、走者が一塁にいる状況で打者が単打を放ったとき、一塁走者が二塁で止まることもあれば、三塁まで進塁することもあるし、三塁への進塁を試みた結果アウトになることもありえる。今回の検証では、ある試合状況(走者状況・アウトカウント)においてある打席結果が発生したとき、走者状況とアウトカウントがどのように変化するかを、過去の試合結果を基に乱数を用いて決定する。
これらの手続きを3アウト×9イニング分繰り返すことで1試合をシミュレーションする。
検証方法
今回の検証では、2020年シーズンのセ・リーグの打順別打撃成績を用いてシミュレーションを行った。詳細な成績は以下の表1に示すとおりで、シミュレーション上の平均得点は4.09点であった。
表2 打順別打撃成績(2020年/セ・リーグ)
打順 |
打率 |
本塁打 |
OPS |
1 |
.285 |
12 |
.762 |
2 |
.252 |
11 |
.702 |
3 |
.269 |
18 |
.794 |
4 |
.286 |
25 |
.884 |
5 |
.267 |
15 |
.749 |
6 |
.250 |
11 |
.688 |
7 |
.260 |
10 |
.706 |
8 |
.222 |
6 |
.614 |
9 |
.174 |
5 |
.473 |
話を簡単にするため、対象となるシチュエーションについて、二塁のみに走者がいる状況について損益分岐点の計算を行った。損益分岐点が高いほどストップが、低いほど突入が推奨される。ちなみに、単打を打った打者走者は一塁に留まるものとした。
検証1:既存の得点期待値表を用いた損益分岐点の算出
はじめに、打順を考慮しない場合の結果を確認する(表3)。
表3 得点期待値表から考える二塁走者本塁突入の損益分岐点(2020年/セ・リーグ)
アウトカウント |
損益分岐点 |
0 |
86.5% |
1 |
66.0% |
2 |
38.3% |
これを見て分かるように、アウトカウントが増えるにつれて損益分岐点の値は小さくなっている。三塁コーチャーの判断基準について、「0アウトなら無理をしない」「2アウトなら多少無理をしても突入させる」などといった、アウトカウントによって判断基準を変更するふるまいは、得点期待値の観点から見て合理的であるといえる。
検証2:走者状況ごとの得点期待値表を用いた損益分岐点の算出
次に、走者状況ごとの損益分岐点を確認する(図1)。この検証2のみ二塁のみに走者がいる状況に限らず検証する。
走者一二塁、満塁時の損益分岐点がほかの状況と比べて高くなっている。すなわち、これらの状況ではほかと比べて二塁走者を三塁でストップさせた方が良い可能性が高まるということである。
また、二塁と二三塁、一二塁と満塁の損益分岐点は一致した。これは、二塁走者の本塁有無にかかわらず生還する三塁走者を除いた走者状況が同じであるためである。
検証3:打順を考慮した得点期待値表を用いた損益分岐点の算出
次に、打順を考慮した場合の結果を掲載する(図2)。打順は単打を打った選手の打順であり、次に打席に立つ選手の打順ではないことに注意されたい。
打順と損益分岐点の関係を見ると、特に1アウト、2アウト時、打順が下位に行くにしたがって損益分岐点が下がっている様子がうかがえる。すなわち、次の打者が上位の打者である場合は、そうでない場合と比べて本塁突入を指示しない方が良いことが多いということである。
また、アウトカウントごとに最も損益分岐点が高い打順と低い打順の差を計算すると、0アウト時に約4.3%、1アウト時に約8.9%、2アウト時に約16.9%と、アウトカウントが大きくなるほどその差は大きくなった。これは、アウトカウントが大きくなるほどその回の攻撃で回ってくる残りの打者の数が少なくなり、単打の直後の打者のパフォーマンスが与える得点期待値への影響がより大きくなるためであると考えられる。
なお、アウトカウント(表3)と比べると、次の打者の能力が損益分岐点に与える影響はそれほど大きくない。
検証4:投手能力を考慮した得点期待値表による算出
最後に、投手能力と打順を考慮した得点期待値表による算出を試みる。今回の検証では、打者の能力と投手の能力から打撃成績を推定する方法として、Log5と呼ばれる計算方法を用いる。打者がある事象A(例:安打)を発生させる確率をx、投手が発生させる確率をy、リーグ平均の発生確率をzとすると、以下の式で対戦成績を推定できるというものだ。
(事象Aが起きる確率)= (xy/z) / (xy / z + (1 - x)(1 - y) / (1 - z))
例えば、打者の打率が.270、投手の被打率が.200、リーグ全体の打率が.250であるとする。このときの対戦打率は上式に各値を代入することで、約.217と推定される。
今回の検証では「リーグ上位の能力の投手」、「平均的な能力の投手」、「リーグ下位の能力の投手」の3投手と対戦した結果を比較する。
なお、各設定の投手と対戦した場合の1試合平均得点は以下のとおりである。
表4 投手レベルごとの平均得点(2020年/セ・リーグ)
投手レベル |
上位 |
平均 |
下位 |
平均得点 |
2.60 |
4.09 |
8.57 |
相手投手の能力が高いほど損益分岐点は低くなっている。ここでいう相手投手の能力が高いとは、あまり得点が期待できない状況と解釈して差し支えない。つまり、あまり得点が期待できない状況であるほど、積極的に本塁突入を試みた方が良いことを示唆する結果となった。打撃による進塁や得点が期待できない状況においては、打撃以外によって進塁することの重要性が高まるため、積極的に次の塁を目指す走塁がより効果的になると考えられる。
なお、相手投手の能力(得点環境)の違いに関しても、アウトカウント(表3)と比べて損益分岐点に与える影響はそれほど大きくない。
まとめ
今回の検証では、実際の試合データを用いた計算が困難であったため、コンピュータシミュレーションを使用し、疑似的に本塁突入の損益分岐点を算出した。算出した損益分岐点はアウトカウント、次の打者の能力によって大きく変化しており、現場でのセオリーとおおむね一致する結果となった。
今回は三塁コーチャーの判断に的を絞って検証を行ったが、試合中に似たような意思決定を迫られる場面は数えきれないほど存在する。厳密な値を求めることは難しいものの、大まかな損益分岐点を求め、あらかじめ頭の中に入れておくことで、より合理的な判断が可能となる。
なお、今回の検証では、実データのみでの算出が困難であったため、コンピュータシミュレーションを使用し、実際の試合データから少し離れたところで分析を行った。しかしながら、実際の試合で結果に作用していると考えられる無数の要素から数点をピックアップし、シンプルな仮定の下で具体的な数値を算出する試みは、野球全体の構造を理解する上で有用であると考える。