• 1.02 Column



本稿は日本の野球に強い関心を持つ米国の野球分析家であるJim Albright(ジム・オルブライト)氏の文章を、許可を得て翻訳したものである。Jim氏は以前、王貞治がもし米国でプレーしていた場合殿堂入りに値したかを分析したが、今回は過去にNPBでプレーした「外国人史上最強チーム」を作ってくれた。パート1はこちらから

評価システム


評価に関しては、私がメジャーリーガーを評価する際に用いているシステムを使い、ピーク時と通算の成績の価値をバランスよく保つよう努めることを心がけた。通算成績に関してはWARが妥当だと感じたが、ピーク時に関してはWARよりもWAAが適切だと判断した。キャリアを評価するうえでWARに妥当性を感じたのは、WARではリプレイスメント・レベルと平均レベル間の価値を評価されるからだ。長くプレーできる選手もいればできない選手もおり、平均的な成績であっても長くプレーすることには価値がある。

ただ、選手の偉大さは平均からどれほど上回っていたかによって測られると思う。そのため私はWAAを使い、短いスパンでどれほど素晴らしい成績を収めたかを評価した。私がここで用いる2つのピーク時(ベスト3シーズンのWAAとベスト5連続シーズンのWAA)の合計という考え方は、ビル・ジェームズの「Histrical Abstracts」からアイディアを借りた。しかし彼がWS(Win Shares)を使って求めた2つのピーク時の合計は通算成績とほぼ等しかったのに対して、私が求めたWAAの合計はWARの約半分であった。そこで、私は自分で得た結果に満足せず、WAAを2倍する方法を試してWARと同等にしてみた。そこで得た数字は私が思っていたものに近づいたため、今回のNPB外国人選手評価にも2つのピーク時の成績を2倍するアイディアを取り入れた。

1945年以前の野手に関しては、シーズンが相当短かったことから、WARを10%上げることを決めた。だがシーズンの長さを平等にするために上向きアジャストメントを施す際、25試合以上増えることでパフォーマンスを維持できるかどうかいう問題に直面し、実際の出場機会とシーズンの長さを考慮した後での出場機会の半分よりやや少ない値がふさわしいのではないかと判断した。それが完ぺきではないが、シーズンが短い時代にプレーした選手からリーズナブルな数字を得ることができたため、公平ではないかと思う。またその時代では野球のレベルが少し劣っていたと思われるため、この判断は妥当だろう。少し保守的かもしれないが、こういったテクニックを使うことで間違いの数と大きさを最小限に抑えることができたと思う。

以下は、3つのカテゴリー(キャリアWAR、ベスト3WAA、そして5連続ベストWAA)とそこから導き出されるポイントを表とした。



ここでは、ランディ・バースの成績を用いて3つのカテゴリー(キャリアWAR、ベスト3シーズンのWAA、ベスト5連続シーズンのWAA)をどのようにして求めたかを示す。



バースのNPB通算WARは32.0である。最高WAAを記録したのは1986年、次に1985年、そして1987年となった。それら3シーズンでのWAA合計は18.0となった。バースのベスト5連続WAAは来日してから最初の5年間で、合計は22.7であった。ここで導き出した2つのWAAの合計は40.7となる。その数を2倍すると、81.4になり、WARの32.0に加算した結果が113.3。これがバースのポイントとなる。



ロースター作成


ここでは私の作成した最強外国人ロースターについて説明する。このロースターは全26選手から構成されており、その中に17人の野手、9人の投手がいる。私はDH以外で各ポジション最低2選手を用意し、2つのポジションを1人の選手がバックアップするという状況は避けた。スターティング・メンバーは最低100試合で該当ポジションでの出場があり、他のポジションより出場が多いことを条件とする。バックアップ選手として出場できる条件は、該当ポジションで最低100試合の出場がある場合とする。また、投手陣の中では最低1シーズンで先発登板機会がリリーフ機会より多い投手を最低5人ロースターに加えた。



捕手:チャーリー・ルイス 45.2ポイント (アメリカ・ハワイ準州出身)

先発捕手がたったの45.2ポイントであるという事実は、バッテリー間のコミュニケーション問題があることを意味する。ルイスは第二次世界大戦中に日本語をいくらか学んだおかげで少しはコミュニケーションをとることができたのではないか。日本でのプレーは2シーズンに留まったが、どちらの年も良い成績を残した。


捕手:バッキー・ハリス 20.8ポイント (アメリカ・カリフォルニア州出身)

1936年春季リーグから、1938年秋季リーグまで日本でプレーした。彼はいくらか日本語を話せたのではないかと思うが、どこで学んだかは不明である。


一塁手:ロベルト・ペタジーニ 160.5ポイント (ベネズエラ・ヌエバ・エスパルタ州出身)

日本でプレーした7シーズンで、5度打率.300以上を記録し、30本塁打も5度記録。四球も非常に多かった。NPB通算打率/出塁率/長打率は.312/.438/.613。MVPを1度、ベストナインを4度獲得した。外国人野手内では、No.1選手で全体ではスタルヒンに次いで2位となった。


一塁手:アレックス・カブレラ 135.2ポイント (ベネズエラ・モナガス州出身)

MVPを1度、ベストナイン賞を4度獲得した。NPB通算打率/出塁率/長打率は.303/.398/.592であった。


一塁手:ランディ・バース 113.3ポイント (アメリカ・オクラホマ州出身)

1986年シーズンの活躍は、NPBの歴史の中でもトップクラスに入るだろう。打率/出塁率/長打率は.389/.481/.777で、本塁打は47本を数えたが、その年MVPに輝くことはなかった。王ですら、打率と長打率部門でそれだけ高い数字を記録したことはない。一塁手として3度ベストナインに輝いた。通算打率/出塁率/長打率は.337/.416/.660であった。3人のフルタイム一塁手をキープした背景としては、この中から誰か1人がDHの役割を果たせるからである。


二塁手:ボビー・ローズ 123.5ポイント (アメリカ・カリフォルニア州出身)

8シーズンに渡り日本でプレーし、打率.300以下を記録したのはたった1度だけであった。(その年の打率は.296)NPBでの最低出塁率は.362で、最低長打率は.455であった。1999年にキャリアハイとなる37本塁打を放ち、それ以外のシーズンでは毎年15本から22本放った。1999年の打率/出塁率/長打率は.369/.439/.655であった。二塁手として6度のベストナインと、1度ゴールデングラブ賞を獲得した。二遊間の選手でありながら、通算本塁打は167本、打率/出塁率/長打率は.325/.402/.531であった。


二塁兼三塁手:ダリル・スペンサー 99.5ポイント (アメリカ・カンザス州出身)

二塁手として、38本、36本、そして30本の本塁打を放ったシーズンがある。NPB通算打率/出塁率/長打率は.275/.379/.536であった。二塁手として2度ベストナインに輝いた。


三塁兼一塁手:レオ・ゴメス 93.6ポイント プエルトリコ・カナバナス出身)

MLBボルティモア・オリオールズでプレーした後、30歳で来日してから6年間日本でプレーした。6年間での通算本塁打は153本で、キャリアハイは36本である。打率.300以上を2度記録し、キャリアハイは.315であった。四球を多く選んでいたため、出塁率は打率より80ポイントほど高くなる。NPB通算打率は.293で、2度ベストナインを獲得した。


一塁兼三塁手:トーマス・オマリー 110.5ポイント (アメリカ・ニュージャージー州出身)

ゴメスにポイントでは勝るが、一塁手としての出場が多かったため三塁手としてこのロースターでは先発出場しない。1年を通して三塁手として起用されたシーズンもあり、ゴールデングラブ賞を獲得した。一塁手として1度ベストナインに輝いた。さらにMVPも1度獲得している。毎年打率.300以上マークし、出塁率は1シーズンを除いて.400以上、長打率は毎年.470以上を記録した。通算打率/出塁率/長打率は.315/.422/.519であった。


遊撃兼三塁兼一塁手:トニー・ロイ 61.7ポイント (アメリカ・ルイジアナ州出身)

これまで日本で成功を収めた外国人遊撃手はそれほど多くない。私のセオリーとしては、もし外国人遊撃手がマイナーリーグのトップレベルで守備面においてショートとして活躍でき、日本で打撃でも活躍する力があるとすると、彼らは日本には行かずにMLBで二塁手、三塁手、はたまた外野でプレーするチャンスがあるからである。ロイが来日したひとつの理由は、そのときすでに36歳であったせいだ。6シーズンに渡り日本でプレーし、1965年に1度だけ打率.260以上をマークした。日本ではパワーヒッターとして有名で、NPB通算で126本の本塁打を放った。三塁手としてはそこそこ良く、遊撃手としては素晴らしい記録である。


遊撃手:ラリー・レインズ 53.8ポイント (アメリカ・ウェストバージニア州出身)

ディック・クラーク著書、ラリー・レスター編集の『The Negro Leagues Book: Limited Edition』によると、レインズは1930年、ウェストバージニア州に生まれ、ニグロリーグで1951年と1952年はプレーしたと書かれている。その後23歳で来日し、2年間日本で素晴らしい活躍を魅せた。アメリカに戻り、マイナーリーグでプレーした後に、やっとの思いで1957年と1958年に103試合でクリーブランド・インディアンズの一員としてMLBに出場した。その後はマイナーに落ち、1962年再び来日し1年間プレーし引退した。


外野手:タフィ・ローズ 114.2ポイント (アメリカ・オハイオ州出身)

2001年から2003年までの3年間で、152本の本塁打を放ち、そのうちの1シーズンでは当時のNPB年間本塁打記録に並ぶ55本を記録した。NPBでの3年間で、毎年打率.300以上をマークした。


外野手:ウォーリー・ヨナミネ 113.0ポイント (アメリカ・ハワイ準州出身)

彼と川上哲治はチームメイトではあったものの、誰よりもライバル心を持っていた。川上がジャイアンツの監督に就任すると、ヨナミネは解雇された。1960年、ヨナミネの成績は399打数で打率.228、本塁打5本。翌年のドラゴンズでの成績はさらに酷くなった。ヨナミネは後にドラゴンズの監督に就任し、川上ジャイアンツのV9を止めた。


外野手:呉昌征 109.5ポイント (台湾・高雄市出身)

身長167㎝体重64㎏と小柄でありながら、スピードから「人間機関車」と呼ばれた。1916年に日本の植民地であった台湾に生まれた。左打者として2つの打撃タイトルと盗塁王を獲得し、さらには投手としてノーヒットノーランを達成した。私の作ったロースターでは最も足の速い選手であることが予想されるため、センターのポジションを任せる。


外野手:アレックス・ラミレス 108.3ポイント (ベネズエラ・カラカス出身)

NPB通算打率が.301でありながら、通算出塁率が.336と四球を多く選ばない選手だった。NPB通算の7152打席で長打率は.523を記録し、本塁打は380本放った。ベストナインに4度輝き、MVPを2度獲得した。


二塁兼外野手:ジョン・シピン 99.9ポイント (アメリカ・カリフォルニア州出身)

二塁手として2度のベストナイン、2度のゴールデングラブ賞を獲得。通算3779打数で打率.297をマークした。通算本塁打は218を数え、通算長打率は.536であった。NPBでの稼働年数の短さが殿堂入りへの懸念だ。


外野手:ウォーレン・クロマティ 97.4ポイント (アメリカ・フロリダ州出身)

自らの日本での経験を記した著書『Slugging It Out in Japan』はとても興味深い自伝である。日本での7シーズンについて語るチャプターはこの本の最高の部分である。外国人選手としての日本での生活に対する考えは興味深く、非常に有益だ。3度ベストナインを獲得し、1989年にはセ・リーグMVPに輝いた。


投手:ビクトル・スタルヒン 234.2ポイント (ロシア・ニジニ・タギル出身)

日本で最も活躍した外国人選手はスタルヒンであろう。日本初の300勝を達成した。通算で4000イニング以上に登板し、MVPを2度、ベストナインを1度、最多勝タイトルを6度、勝率で1度、奪三振数で2度、そして防御率タイトルを1度獲得した。


投手:若林忠志 154.2ポイント (アメリカ・ハワイ準州出身)

3500イニング以上に登板した現役生活での通算成績は237勝144敗、防御率は1.99で、MVPに2度輝いた。彼の現役生活のほとんどは、1リーグ制が採用されていた。


投手:郭源治 80.4ポイント (台湾・台東市出身)

1度のMVP、2度の最多セーブ、そして1度の最優秀防御率のタイトルに輝いた。1987年から1989年まで88セーブを記録した。


投手:デニス・サファテ 77.7ポイント(アメリカ・ニューヨーク州出身)

日本で史上6人目となる200セーブを達成し、1シーズン最多セーブの記録を保持する。外国人投手の中では最も多いセーブ数を記録し続けている。


投手:郭泰源 71.6ポイント (台湾・台南市出身)

郭源治に次いで最も活躍した台湾人投手。MVPとベストナインをそれぞれ1度ずつ、そしてゴールデングラブ賞に2度輝いた。さらにリーグ最多勝率のタイトルを2度獲得した。


投手:ジーン・バッキ― 54.1ポイント (アメリカ・ルイジアナ州出身)

1964年の成績は目を見張るものがあった。353 1/3イニングを投げ、29勝9敗、防御率1.88を記録。タイガースをペナント制覇へと導き、ベストナインと沢村賞にも輝いた。通算ではおよそ1600イニングに登板し、防御率は2.34であった。1965年には、ジャイアンツ相手にノーヒットノーランを達成した。ブラッシングボールを投げることで有名で、打者をあざけることも頻繁に行っていた。ロバート・ホワイティング著書の『Chrysanthemum and the Bat』によると、バッキ―があざけることに特に喜びを感じていた選手は、王と長嶋だったようだ。


投手:ブライアン・シコースキー 48.9ポイント (アメリカ・ミシガン州出身)

10シーズンに渡りNPBでプレーした。2010年には、33セーブを記録し、2004年から2010年の期間で2.67より悪い防御率を記録したのがわずか1度(2005年の防御率が3.09)であった。


投手:ジョー・スタンカ 43.0ポイント (アメリカ・オクラホマ州出身)

1964年、MVPとベストナインを獲得し、ホークスを日本シリーズに導いた。彼のタイトル受賞の大きな壁となったジーン・バッキーと共にその年、外国人投手は大スターであった。1964年、彼らが対象になるタイトルで獲得できなかったものはセ・リーグMVPだけ。スタンカの1964年の成績は、277 2/3イニングを投げ、26勝7敗、防御率2.40であり、リーグ最高勝率のタイトルを獲得した。


投手:林 昌勇 41.2ポイント (韓国・光州広域市出身)

サイド、アンダーからボールを投じるクローザー。2度のトミージョン手術を乗り越えた。ヤクルトに在籍した4シーズンで、128セーブ、防御率2.15をマークした。



※この外国人選手に関する記事で私が主なソースとして使用したのは、カルロス・バウアー著の『The All-Time Japanese Baseball Register: The Complete Statistical Record of All the Great Japanese & American Players』とウェイン・グラジックによって編集のされた『The 1998 Japan Pro Baseball Fan Handbook and Media Guide』だ。バウアーは百科事典(encyclopedia)の形式で、全アメリカ人選手の成績と1500試合以上に出場した選手や打撃タイトルを獲得した選手など、数多くの分野で一定の基準をクリアした選手について自身の著書で記載している。さらに私は友人であるマイケル・ウェストベイの力を借り、上記2つのソースでは得られない選手に関する情報収集や、Baseball-reference.comが公開するNPBに関する情報と私の情報間でのギャップを埋める役割も担って頂いた。

Jim Albright(ジム・オルブライト)
これまで日本野球と殿堂入りについて幅広く書き、発信してきた。彼の日本野球に関する研究はhttp://baseballguru.com/jalbright/に記載されており、殿堂入りについての研究はhttp://www.baseball-fever.com/showthread.php?32451-Albright-s-musingstでアクセスできる。


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