• 1.02 Column


現役時代は中日の名二塁手として活躍し「ミスタードラゴンズ」と称された中日元監督の高木守道さんが17日、急性心不全のため名古屋市内で死去した。78歳だった。葬儀は家族葬で営まれる。(中日スポーツ電子版より)

データ上、現状の歴代最高二塁守備であることはほぼ確定的


子供の頃、野球が最大の娯楽だった時期に活躍をされた方々の訃報が続いている。現在と当時の自分の年齢を引き算すれば、そういう時期が来てしまっていることを思い知らされる。思い出の一部を少しずつ削られている気分にもなる。

高木は物心ついた頃にはすでに中日のレギュラーであった。野球を見始めた頃のスターの印象は誰にとっても強力なものである。もちろん、当時の印象は今でもありありと残っている。

しかし、今になってスタッツを拝見してみるとかなり当時の印象と異なる部分がある。何せ活躍時期は1960年から1980年まで。高木のデビュー時期に生まれた人はもうすぐ60歳である。自分が見聞きしていた頃とは違うことが今になって言われていたり、自分の記憶自体が変質していたりすることに気づかされる。記憶は簡単に上書きされるし、言語ベースでの記録は伝播するうちに変化する。表現は同じでも受け手の常識や解釈が時とともに変わることもある。

まず高木の特長といえば誰しも守備を考えるだろう。刺殺・補殺の通算は二塁手歴代1位。補殺に関してはあらゆるポジションの中で歴代最多を記録している。古い時代のことであるため UZR(Ultimate Zone Rating)などは求められないが、手に入るスタッツから求められる守備指標の RRF(Relative Range Factor) ではプラス180得点相当の利得を叩きだしている。これはNPB歴代すべての二塁手の中で歴代最高の値である。

使用した係数は異なるかもしれないが ほかにWeb上で同様の試みをされた方がおり 、そちらでも歴代最高の数字をマーク(174得点相当)している。今のところ、歴代で最も大きな守備貢献を記録した二塁手と言い切っても語弊はあるまい。数字の記録ではほぼ定まった結果が出ていることになる。


「バックトスの名手」というキャッチコピー


リアルタイムでプレーを見た記憶から、やや気になるのが「バックトスの名手」というキャッチコピーだ。そもそもバックトスというプレーは使える体勢がごく限られる。状況にも依存する。無死か1死で一塁に走者があり、バックハンドで投げた方が利のある位置関係・タイミングでなくては発生しないプレーである。かつ普通に投げた場合とバックトスをした場合ではっきりと結果に違いがなければ(アウトセーフや併殺成立)、余剰アウトの獲得という明確な利益となってはね返ってこないものである。

高木はその野球生活の中で、守備指標からおそらく500程度はほかの二塁手が取れないアウトを取っていなくてはならない。ごくまれに現れるプレーではとても間に合わず、他の二塁手を上回るスピード、そして他の二塁手を上回る技術(バックトスも含む)など、すべてを動員しなくてはこの数字はとても無理だろう。バックトスだけでなく高木本来の価値は総合的な守備能力にあったはずだ。

リアルタイムで見ていない場合、選手の特徴を伝達するためキャッチコピーをつけるというのはよくあることだが、これに関しては現役時代に頻繁に聞いたフレーズでもなく、やや疑問に感じるところである。実際のプレーとしてバックトスをほとんど拝見した記憶はなく、むしろ流れるように決めたグラブトスの方がむしろ記憶に残っていたりする。実際に見ることのできなかった年代の方たちに対し、その特長を一口で説明するためのものだったと思われるが、守備の一部のプレーだけでなく本来は総合的な守備力で圧倒していた二塁手である。「あっちへ打ってもダメ」、そういった存在感が強かったはずだが、いつの間にかキャッチコピーのイメージの方が肥大してしまっているようだ。


「1番高木が塁に出て~」歌詞が誤解を増幅させた打者・高木のイメージ


攻撃面では記憶にある姿と記録との乖離が激しい。記憶の中ではしぶとい好打者で出塁系の能力に秀でたスピードスターである。もちろん盗塁王を3回獲得していることからもスピードスターであることには間違いがない。しかし、往時の出塁系の打者というイメージとは異なり、打撃はややパワー系よりの数字が残っている。そして三振も四球も少ない。高木は打って出るタイプだったのだ。

現役生活21年間で、リーグの平均出塁率(以降リーグ平均はすべて投手の打撃成績を除いたもの)を上回ったシーズンは8回。13シーズンはリーグ平均(投手除く)を下回っている。「1番高木が塁に出て~」と歌われた優勝シーズンもやはり平均を下回っている。あの歌は誤解を増幅させている。

その代わりにあったのは意外なパンチ力だ。長打率は21シーズン中14シーズンでリーグ平均を上回った。すでに有名な話だが4打席連続本塁打をマークした1人でもある。スピードは横に置くとすると、攻撃の才能は走者として出るのではなく、走者を還す方にあったのかもしれない。この長打力により、攻撃指標では通算でプラスの得点生産をマークしている。

もう1つ意外なのはオールスター出場が4回に留まっていることだ。ほかの球団の二塁手の顔ぶれをつい思い出してみたくなるような、不思議な選考結果である。巡りあわせもあるので一概には言えないが、一般的なファンに守備指標が定着していなかったのも1つの原因と考えられる。守備が上手いと言われてもファンの側に物差しが与えられていない。専門家の言葉だけでは投票行動につながるようなインパクトは与えられない。昔から野球に関してメディアは「守備が重要」と唱え続けたにも関わらず、定着のための努力が不十分であったような気がしてならない。

訃報のニュースを見てのウェブ上の書き込みなどを拝見してみる。すると、今や守備指標が普通に話題となっている時代である。15年ほど前のことを考えれば昔日の感がある。

引退後は監督を務め、「10.8決戦」のような名勝負を演出するものの優勝には恵まれなかった。組織としてのバランスを重視した運営にも見え、そのような姿勢は2012年にあえて火中の栗を拾うような監督受諾にも見受けられるような気がしたが、確認の方法はない。

デビューした昭和35年頃は、昭和20年代後半から続く内野守備の変革が相当に進んだ時期である。高木はこの変革の時期を二塁手としてリードし続けた。活躍時期は新しい守備の取り組みとともに守備における二塁手の重要性が増し続けた時代。重要ポジションだった三塁手と二塁手が、その立場を最終的に入れ替えた時期に当たる。高木の引退時期にはほぼ現代の内野守備の原型が定着していた。その高木が、引退から約40年を経た現在でも、最も多くのアウト獲得に関与した者として記録されていることは感慨深い。


道作
1980年代後半より分析活動に取り組む日本でのセイバーメトリクス分析の草分け的存在。2005年にウェブサイト 『日本プロ野球記録統計解析試案「Total Baseballのすすめ」』 を立ち上げ、自身の分析結果を発表。セイバーメトリクスに関する様々な話題を提供している。

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