• 1.02 Column


筆者は「セイバーメトリクスの視点で過去の打撃ベスト10を振り返ろう」という企画で、過去のNPB全年度における打撃ベスト10を、従来の打率ではなくwRAAでランキングしてきた。今回はその番外編として1970年に起こった不思議なベストナインの選出について取り上げ、その背景に何があったのかを考えてみたい。



1970年に生まれたセ・パ両極端なベストナイン


1970年のベストナインでは、外野手部門で非常に興味深い結果を生んでいる。

表1 1970年セ・リーグ外野手の打撃成績
選手 球団 打率 本塁打 打点 wRAA
高田 繁 読売 .262 10 26 5.5
中 暁生 中日 .272 7 29 2.5
江尻 亮 大洋 .271 11 51 7.2

表1に挙げた3選手は当時、いずれも知られた技巧派打者だった。それぞれ走攻守に優れたアスリートタイプの外野手でもあり、この3人でチームを組むならこれはこれで優秀な外野陣だろう。「玄人好みの外野陣」と呼ばれそうだ。しかし今の常識ならこの打撃成績の選手が外野3人となると、少々貧打の懸念があるだろう。

驚かれるかもしれないが、実はこれが1970年セ・リーグのベストナインなのだ。

それに対してパ・リーグのベストナインは表2のようなメンバーになっている。

表2 1970年パ・リーグ外野手部門ベストナイン
選手 球団 打率 本塁打 打点 wRAA
長池 徳二 阪急 .309 28 102 33.1
張本 勲 東映 .383 34 100 67.0
G・アルトマン ロッテ .319 30 77 37.3

パ・リーグ3選手の成績を見ると、今の常識でも強打と言えるレベルだ。ちなみにパ・リーグで優勝したロッテのレギュラー外野陣を並べると、表3のようになる。

表3 1970年ロッテ外野手の打撃成績
選手 打率 本塁打 打点 wRAA
池辺 厳 .274 22 61 7.6
A・ロペス .313 21 69 18.8
G・アルトマン .319 30 77 37.3

単独のチームでありながら、3人の外野手がすべての項目でセ・リーグのベストナイン外野手(表1)を上回った。外野のベストナインでは通常、1人くらいは守備・走塁が評価されて選ばれることがあるにしても、そのほとんどは打力でリーグに大きな影響を与えた選手が選ばれる。確かに打力順だけで選ばれることもないだろうが、それにしてもセの3人そろってwRAAが1ケタ、中暁生(中日)のwRAA2.5に至っては、今後のベストナインではまず見られない数字であろう。高田繁(読売)が打率.262で選出されていることも相当なインパクトである。これら選手は本塁打や盗塁の面で記録的だったわけでもないのだ。




翌年にあたる1971年のベストナイン


1971年はどうだろうかと見ると、表4、表5のようにセ・パの趨勢は変わっていない。

表4 1971年セ・リーグ外野手部門ベストナイン
選手 球団 打率 本塁打 打点 wRAA
高田 繁 読売 .270 11 51 12.2
柴田 勲 読売 .282 3 32 11.9
水谷 実雄 広島 .283 9 45 10.8
表5 1971年パ・リーグ外野手部門ベストナイン
選手 球団 打率 本塁打 打点 wRAA
長池 徳二 阪急 .317 40 114 48.6
門田 博光 南海 .300 31 120 27.0
G・アルトマン ロッテ .320 39 103 38.7

前の年よりもさらにコントラストは明らかだが、この年のパ・リーグは選に漏れたメンバーもすごかった。第2メンバーとも呼べる次点以下のメンバーが表6だ。

表6 1971年パ・リーグの外野手ベストナイン選考漏れ
選手 球団 打率 本塁打 打点 wRAA
張本 勲 東映 .313 26 78 31.7
江藤 慎一 ロッテ .337 25 91 31.7
土井 正博 近鉄 .309 40 113 39.0

江藤は首位打者を獲得しての選考漏れ。史上初の両リーグ首位打者獲得の年だった。しかしこの年の江藤は、かつてとは異なり一塁手での出場が多かったため、これは理解できる。ほかは、打撃成績の内容を見れば門田ではなく土井の方が選ばれそうだが、門田は打点王を獲得しており、こちらの方に少しだけ敬意を表したようにも見える。もちろん次点のメンバーもセ・リーグ勢をすべての項目で大きく凌駕している。


いびつなベストナインの原因は?


このようないびつな結果が表れた最も大きな要因は1970年からセ・リーグにおいて低反発球が使用されていたことにある。これに対してパ・リーグの方は例年よりやや飛ぶボールを使用されていたようだ。

表7には1970年に低反発球が使用されることで大きな影響を受けた選手を示した。デーブ・ロバーツ、ウィリー・カークランドともに1970年に大きく成績を落としている。

        
表7 1970年に成績を低下させた代表例
選手 年度 球団 打率 本塁打
D・ロバーツ
1968 サンケイ .296 40
1969 アトムズ .318 37
1970ヤクルト .238 19
W・カークランド
1968
阪神
.247 37
1969 .246 26
1970 .249 15

1970年の外野手全体[1]では打率.243、規定打席(403)到達時点での予想本塁打9.2本と、外野手とは思えぬ成績となっている。ちなみに1971年では打率.246、7.5本塁打とこちらも低迷している。

打つ方がこの状態であれば、当然のことながら投げる方もそれに応じた記録となる。表8にはこの年のセ・リーグ主要投手の成績を示した。

表8 1970年セ・リーグ主要投手の成績
選手 球団 勝利 敗戦 防御率
村山 実 阪神 14 3 0.98
平松 政次 大洋 25 19 1.95
田辺 修 中日 11 7 1.98
堀内 恒夫 読売 18 10 2.07
江夏 豊 阪神 21 17 2.13

いずれの投手もNPB時代のダルビッシュ有や田中将大レベルに思える数字を残している。平松政次(大洋)の成績について、防御率1.95で19敗もするのかと驚く人もいるかもしれないが、ここに不思議はない。相手方もそれだけよく抑えることができたシーズンなのだ。30本塁打の打者を9人を並べても相手が同じだけ打てば、本塁打によるマージンはないのとまったく同じことである。




環境により失うべきではなかった選手が失われる可能性も


極端な環境は、このように選手の成績に影響を及ぼす。そしてそれがレギュラーの生存競争にまで影響をもたらすのは当然である。このような環境では、長打力に特性をもったスラッガーは大きく割を食い、影響の少ない俊足好打タイプが相対的に浮上することになる。球団も直面した状況から器用なタイプを重用するだろう。選出側にもそのような視点が顕著だったからこそ、ベストナインがこのような結果になったのだろう。また長打と単打両方に適性を持つ打者はより単打志向が優勢になったはずだ。選手は少しでも生き残りの可能性を上げたいはずだからである。

このようにスラッガーの成績が上がりにくかったため、ちょうどこの頃がデビュー直後にあたったスラッガーは大成を遅らせられた感は否定できない。田淵幸一 (阪神)、山本浩司(広島)、谷沢健一(中日)らである。一番怖いのは淘汰されるべきではなかった選手がどこかで淘汰されてしまった場合のことである。これについては今となっては確認のしようもない。

近年においても、違反球使用中止後の2013年以降に筒香嘉智(当時DeNA)、山田哲人(ヤクルト)、柳田悠岐(ソフトバンク)らが揃ってブレイクしたのは象徴的な出来事である。2011-12年の2年間の環境によって、我々は失うべきではなかった打者を失ったのかもしれない。


[1]そのシーズン、自身の守備ポジションで外野での出場試合が最も多かった選手を外野手として計算している。

道作
1980年代後半より分析活動に取り組む日本でのセイバーメトリクス分析の草分け的存在。2005年にウェブサイト『日本プロ野球記録統計解析試案『Total Baseballのすすめ』』を立ち上げ、自身の分析結果を発表。セイバーメトリクスに関する様々な話題を提供している。

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